オリンピアンの系譜 第5回 飯島 誠〈後編〉"I'm three times olympian!!"

シドニー2000オリンピック後、飯島はロードレースでも目覚ましい戦績を収めながら、アテネ、北京とさらに二度、ポイントレースでオリンピック出場を果たす。とくに輝かしいのは北京2008オリンピックでの8位入賞だ。40歳を目前に現役を引退、ブリヂストンサイクルの社員としてセカンドキャリアを歩みながら、オリンピアンとして東京2020オリンピックの気運を盛り上げるために東奔西走している。

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二度目のオリンピック、はじめてのチーム移籍

 シドニー2000オリンピックを経験し、次のオリンピックもトラックレースでの出場を目標に定めた飯島だったが、ロードで目覚ましい活躍を見せたのもシドニー後のことだ。
 2001ツール・ド・おきなわ優勝、2002ツール・ド・チャイナ個人総合優勝、2004、05全日本選手権個人タイムトライアル連覇、2006ツール・ド・イーストジャワ区間優勝などなど。
 飯島がよく記憶しているレースのひとつに、2002年8月に行われた全日本実業団対抗ロードレースがある。このときの開催地は長野県小川村。

「上りの厳しいコースと評判で、大会前に関係者のひとりから『あのコースじゃ、飯島は勝てないだろう』と言われたんですよ。それで火がついた、絶対、勝ってみせる、と」

 結果は、上りに強いシマノの狩野と野寺を振り切って、会心の勝利だった。

「現役時代、よく『二足のわらじで大変だね』と言われたけれど、本人はまったくそう思っていなくて。冬から春はトラックシーズンで、5月にトラックの世界選手権が終わると秋までロードシーズン―― 年中、自転車のことしか考えなくていいんだから、むしろラクでした」

 アテネでオリンピックが開催された2004年は、トラックシーズンを好調に滑りだす。ワールドカップマンチェスター大会のポイントレース5位、シドニー大会4位。5月、メルボルンで開催された世界選手権では6位。もちろん、ポイントレースで二度目のオリンピック代表の座をつかんだ。

「オリンピックのレースのイメージはできていた」が、終わってみれば、シドニーと同じ16位。

 どうにかしてオリンピックの壁を破りたい―― 三度目のオリンピック、北京へ目標を定める。
 翌05年は「ロードをがんばる年」と決めたという。10年ぶりに大門宏が指揮を執るナショナルチームが復活したこともあり、夏にはヨーロッパのレースを走る。マドリードで開催された世界選手権の代表にもなったが、これはトップから27分遅れの135位に終わった。

「この年は調子がよかったばかりに、トレーニングしすぎました。ずっとコーチのいない環境でやってきて、それにはいい面もあるんだけれど、調子がいいとブレーキをかけられない。リカバリーが疎かになっていました」

 2006年、35歳になった飯島は、大学卒業以来、はじめてチームを移籍する。メンバーを大幅に入れ替え、新体制でスタートしたチーム ブリヂストン アンカーに迎えられたのだ。

「田代(恭崇)くんと一緒に若手を引っ張ってほしい、と。ブリヂストンは強くなければいけない、という思いで受けました」

生活と練習の拠点も八王子から埼玉へ。

「新しい環境で、タイプの違う田代くんや若手との練習はいい刺激になりました」

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オリンピックは自分がいちばん輝ける場所

 再びオリンピックまであと2年となり、トラックレースでは、愛三工業の西谷と盛、鹿屋体育大学の角――若い選手が台頭してきていた。

「まず彼らに勝って、やっぱり飯島だよ、と印象づけなければオリンピックには行けない、と思っていました」

 2007年、飯島はワールドカップで安定した成績を残し、ポイントレースでは西谷や盛を上回るUCIポイントを獲得。北京2008オリンピック代表の座を確実なものにしていく。
 2008年、自身三度目となるオリンピックは、メダル獲得をめざして臨む。

「競技人生の集大成のつもりで臨もう、どんな展開になっても悔いのないレースにしよう、と。ところが、ナンバーカードをもらったら16。一瞬、シドニーとアテネの結果が頭をよぎりましたよ(笑)」

 三度のオリンピックのなかで、もっともよいパフォーマンスだったという結果は8位入賞。

「メダルには届かなかったけれど、オリンピックは自分がいちばん輝ける場所でした」

 当時、37歳。ここで"引退"の二文字が脳裏をよぎりはしなかったのか――。

「これで、またロードでがんばろう、と思った」ところが、飯島らしい。

 北京2008オリンピックのあと2シーズンは、若手を見ながら現役を続ける。

「若手を育てなければいけない、とわかっていても自分の成績も出したいとか、45歳まで(現役を)続けたいとか、葛藤はありました」

 しかし40歳になる直前の2010シーズンをもって引退を決めたのは、「続けていれば、自分が勝ちたい。それは若手にとってプラスじゃない。人生のセカンドステージに進むにしても、いまがタイミングだろう、と」。

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オリンピックを子どもたちのレガシーに

 引退後、飯島は社員としてブリヂストンサイクルに入社。販売促進や広報などの業務に携わっているが、課せられた重要な任務のひとつが自社製品のテストだ。

「選手だったときの機材テストは、コンマ以下の数値にまでこだわっていました。すべて自分の成績に返ってくることですから。いまは、視点がまったく違っていて、このモデルに乗るのはどんな人だろう、何を求めてスポーツバイクを買うのだろう、とイメージしたうえでテストしています。エントリーモデルなら、走りより乗り心地のよさを大事にすべき、というふうに」

 チームを移籍し、拠点を埼玉に移したとき、まず練習環境の変化が楽しくてしかたなかった、と飯島は振り返る。

「ゆっくり走る日に、新しいルートやカフェやパン屋を見つけるのも楽しみでした」

 自転車から遠ざかってしまった大人たちに、もう一回乗ってほしいのだ、という。

「自転車はいいですよ、街の匂い、海の匂い、森の匂い、暑いとか寒いとか、五感で感じられる。街なかを1kmだっていい、必ず何か発見があるはずです」

 さらに2019年、飯島は、まぢかに迫った東京2020オリンピックの気運を盛り上げることに精力を傾けてきた。要請があれば、会場や与えられる時間にかかわらず出向き、オリンピアンとしての経験や自転車競技の魅力を語りかける。

「やはり、子どもたちに話をする機会が多くて、いくら数をこなしても、対象が小学校1年生のこともあれば高校生のこともある。その都度、言葉や内容を選ばないと伝わりません」

 オリンピックにまつわる数字を出したり、映像を見せたり、競技用の自転車に触れてもらったり子どもたちの興味をそらさないように工夫を怠らない。

「オリンピックは、自転車競技の魅力をアピールするチャンスであると同時に、子どもたちが世界へ目を向けるきっかけにもなると思うんです」

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 2019年、日本中を沸かせたラグビーワールドカップでは、開催都市の子どもたちが、試合が行われる国について学んだり国歌を覚えたりしたことが話題になった。いま飯島は、オリンピックの自転車競技でも、そんな盛り上がりを期待している。

「オリンピックの自転車競技には、40~50カ国の選手が出場します。たとえば、東京2020オリンピックのトラックレースには、"スリナム"が出られそうなんです」

 スリナムとは、南米のカリブ海と大西洋に面するスリナム共和国のこと。知らなかった国が"知っている"国になるのがオリンピックだ。

「ロードレースが通過する市町村の子どもたちには、どんな国の選手が走るのか調べてもらって、ぜひ沿道で観戦してほしい。伊豆ベロドームで行われるトラックレースだって、外へ練習にでる選手を見かける機会は多いと思う。そんなとき、声援を送ってもらえたら、うれしくない選手はいません」

 もちろん、日本の選手たちも、ひとつでも多くのオリンピック出場枠を獲得すべく、最後の戦いに挑んでいる。

「本番のオリンピックで、メダル獲得も十分期待できると思います」

 その日まで、あと少し。日本で開催されるオリンピックを、飯島も胸を高鳴らせて待っている。

「そういえば、中学生のとき、ママチャリで走った道志みちがオリンピックのコースなんだなぁ」

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飯島 誠 Makoto IIJIMA

1971年2月12日生まれ、東京都八王子市出身。都立八王子工業高校で本格的に自転車競技を始め、中央大学へ進む。1993~2005年はスミタラバネロパールイズミに所属しながら、ナショナルチームでも活動。06年、チーム ブリヂストン アンカーに移籍、2010年に引退するまでロードレースとトラックレースに参戦を続けた。2000、04、08年とトラックレース(ポイントレース)で三度オリンピックに出場。リオデジャネイロ2016オリンピックにはコーチとして帯同している。

現役時代の主な成績は以下のとおり。

1995年 アジア選手権ロードレース 4位
1999年 全日本選手権個人タイムトライアル 優勝
2000年 シドニー2000オリンピック ポイントレース16位
2001年 ツール・ド・おきなわ 優勝
2002年 ツール・ド・チャイナ 個人総合優勝
2004年 世界選手権ポイントレース 6位
     アテネ2004オリンピック ポイントレース16位
     全日本選手権個人タイムトライアル 優勝
2005年 全日本選手権個人タイムトライアル 優勝
2006年 全日本選手権ポイントレース 優勝
     アジア選手権ポイントレース 優勝
2007年 全日本選手権ポイントレース 優勝
     ジャラジャウ・マレーシア ステージ2勝
2008年 北京2008オリンピック ポイントレース8位入賞

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