【MTB平野の引退】12年間のレース人生を振り返る[後編]:チームで関わった人たちのものまねが得意なのは、彼らが自分の中に生きているから


(2021年MTB全日本選手権XCO 愛媛県・八幡浜)

2021シーズンをもってMTBレース選手から引退する平野星矢。彼の独自スタイルを綴るインタビューの後編です。後編は、平野が見続けてきたもの、選手としてのモチベーション、最大のライバルであった元チームメイト山本幸平さんについて聞きました。



(2015年 長野県・富士見パノラマ)

全日本選手権とアジア選手権、その2つの勝利のためだけに走っていた

練習はひとりでするのがいいですね。自分のタイミングで、自分の走りたいイメージがあるからです。その通りに組み立てたら、コンディションを最高に上げられる自信があります。それを全日本選手権とアジア選手権の前に、チームとしてではなく、できるだけ自分だけの活動のタイミングでやってきました。

亮さん(斎藤亮さん、元チーム選手)が抜けた2016年からは、選手としては全日本選手権とアジア選手権のためにやっていたという感じです。その2戦だけのためだけ、って言うのもどうなのって気がするんですけど(笑)。

それ以外はアジアに行ったりだとか、遠征で得られる経験だったりとか、そういったのがあって結構(競技生活を)やれるっていうのもありました。


(2016年2月 キプロス)

ですから、他のレースでは本当に順位に興味がない。そう言い切ったらあれですけど、自分が磨きたいところだけ磨きたい、という自分に気がつきました。

ひとつひとつのレースを勝ちに行く走りというよりは、全部、全日本とアジア選のための一環でした。他のレースが大事なのはわかっているんですが、そういう一般的なプロセスでやると、全部がナアナアになって、失敗してしまうんです。

ですから僕は、その2つのレースに向けて全部イメージができていて、それに向けて全部やっていく。僕の調整の内容で言うと、どんどん修正して行きながら収める、というスタイルなんです。なんとなく最後まで削っていって、レースの日に出せるように決める。


(2018年 アジア選手権 フィリピン)

例えば他の選手と一緒に練習しようってなった時に、外からはそれが見えづらい。自分はこの時にこの練習を、って自分の体調に合わせていろいろやっていくので、ここはそうじゃないなと思った時に、断りづらいというか。だから人と練習したくないですし、できればレースも全部、自分で出るか出ないかを決めたかった。

でもそんな選手は、困るじゃないですか。全日本とアジア選の前だけそれをやるからある程度の精度は出せますけど、そのための時ぐらいだけにしないと、みんなが大変です(笑)。


山本幸平という存在について


(2018年 アジア選手権 中央:山本さん)


幸平さん(山本幸平、元チーム選手)は僕が自転車を始めた時から、専門学校で三年生だった先輩です。ですから自転車を始めた時から、自転車の物心がついたときから一緒にいます。自転車をやっていく中で知り合った存在ではなく、ある意味原点的なところです。

チームブリヂストンに加入してフランスに行った時もフランスでいろいろ教えてもらいました。自転車の競技とセットの存在で、ある意味『自転車の父』みたいな先輩です。そう言った意味では、いい目標でありつつも、目標ではなかったんですよね。。。。なんていうか、尊敬できる存在ですね、リスペクトできるひとつの形というか。

でも僕はそのやり方では僕じゃない、僕のパフォーマンスを発揮できない。だからリスペクトしている一つの生き方で、この生き方はいいなと思っているんですが、でも僕は違う、という。そういう存在ですね。



(2019年 ギリシャ)

今までのレースの中で一番覚えている瞬間、良かった瞬間

それをよく聞かれるんですが、どの瞬間もよかったです、本当に。

毎回行くところ、どこも楽しかったです。レース会場も、カッパドキアも。初めてギリシャに行った時も、他のヨーロッパとも中東とも違った雰囲気で、人の性格とか街の雰囲気とかも好きでした。


(2016年3月 カッパドキア)

タイに行っている時も、練習の一つ一つも結構面白かったなって思いますし。その人たちと話してたことも一番楽しかったなって思います。

アジア選は相当好きでした。どれも思い出に残っていますね。予期せぬことが起きるので、それが楽しいです。他のみんなは疲れていたみたいですが、僕は思い通りにならなくて予想外のことが起きるのがすごく好きで。

フランスでのビクター(ビクター・トマ元MTB監督)も気性が荒くてめちゃくちゃで、よくトラブルを起こすんですけど、それが好きでしたね。自分ではそんなにトラブルを起こせないので。トラブルを味わえるっていうのは、楽しいです。トラブルも楽しみですからね。

チームブリヂストン として走ってきて、得たものとは

なんて言うんですかね、チームメイトも小林さん(小林輝紀、MTBチーム監督)も含めた、いろんな人の生き方が見られたことですね。

辻浦さん(辻浦圭一さん、元チーム選手)も、幸平さんも、亮さんも時くん(沢田時、チーム選手)もそうですけど、一緒に活動して、一緒に行動することによって、擬似体験じゃないですけど、その人の生活を体験できるということです。

言葉の端々だったり、食べ物だったり、日頃の動作だったりから、この人はここで育って、こういうコミュニティで育ったんだろうな、っていうそれが体験できる。それが本当に面白かったです。一緒に活動できて、それが今の僕に大きく影響していると思います。さっき言った幸平さんへのリスペクトも、それは自分の生き方ではないんですが、一つの感覚として自分の中にあります。


(2017年10月 トルコ 左から沢田、平野)

僕はものまねが得意なんです。その人が言いそうなことを言って、うまいねってよく言われます。
それは僕の中で、ある意味、その人が生きているからなんですね。
だから小林さんも、幸平さんも、辻浦さんも、亮さんも、時くんも仮想のその人が僕の中にいる。

トレールもそうですかね。行かないのに走っている夢を見るじゃないですか。それと一緒なんですよね。なんか自分の中に、その感覚があるんです。それが旅が好きな理由の一つです。ここ行くと、朝にこの霧がかかった中を通勤して、このご飯を食べて、また帰って友達と遊んで、なんていうのがイメージできるんですよね。そのイメージできる感覚が好きで。

競技もそういうことでやっていたのかもしれないですね。一緒に走っている人の走りを見ながら、たぶんこういう感覚で走ってるんだろうな、ってイメージして。

チーム選手として伝えたい感謝の言葉


(2016年 Jシリーズ最終戦 山口県下関)

やっぱり、普通では経験できないぐらいの経験と出会いに感謝しています。そのバリエーションも国の多さも、出会うきっかけを作ってもらえて、本当に楽しかったなと思います。

これからは、この自転車業界に残る、という感じではないですが、自分の独自のもので関われたらなと思います。人が好きなので、レースを走ったりはないですが、また会場にみんなに会いに行こうかと思っています。小林監督とも、選手としてじゃなく関われたらなと思っています。


(2021年 MTB全日本選手権 レース直後 左:小林監督)


今後の活動は植物に関わる仕事に、夢は植物で表現されたカフェ



(平野自宅)

南国の植物が好きなので、植物に携わる生活・仕事をしたいです。植物を活かした空間を提供する仕事をしていきたいと考えています。

なので、思い付く簡単な例えで言うならば、カフェやレストランなどで、植物をメインに表現されたリラックス空間を提供する仕事が僕の夢です。

カフェやレストランに限らず、植物を活かした風情や生活環境を作る仕事へと繋げていけたらなと、僕の中で理想を思い描いています。




この取材では触れませんでしたが、平野が東京2020オリンピックへの挑戦に費やした時間も莫大でした。

オリンピック代表を目指した最後の2年間は、とても多くの海外UCIレースを転戦し、彼の強い意志と本気の走りがそこにありました。

日本一になること、アジア一になること、そして東京2020オリンピックを走ること。これが平野が、本当に目指していたものでした。

最後に。有名な平野の植物好き、その理由を教えてもらいました。

「子どもの頃におじいちゃんが観葉植物を育てていて、それを分けてもらって増やす、ということをしていました。その後、自転車に乗るようになって、アジアに行く機会が多くなりました。自転車はそういうところの自然、植物に合うんですね、匂いや色が。ある日、自分は植物が好きだったな、というのを思い出して。

自転車に乗るのもそのためです。いい空気を吸って、いろんなところに行って、いろんな人と会って。僕は練習がてら荷物積んでひとりで泊まりで走りによく行きます。海外に行くと話しかけてくれる人が多く、そこからSNSでやりとりが始まって。

人の出会いも、いろんな文化も。文化とマッチングした、その場所の雰囲気に合った植物が生えています。それを植えるとその匂いでその場所や人を思い出すんです」

植物の仕事に関わり、植物の空間を作り出すという平野の夢。この夢を追い求め、選手とは別のステップへと旅立ちます。

TEAM BRIDGESTONE Cyclingは、12年にもわたった平野の選手としての活躍に感謝します。これからも夢を追い続ける平野を、チームは応援します。

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