オリンピアンの系譜 第3回 鈴木雷太 〈後編〉  "生粋の自転車人が描く未来"

現役時代の鈴木雷太は、マウンテンバイクの枠にとどまらないアスリートだった。春から秋まで続くジャパンシリーズを戦いながら全日本選手権ロードレースに参戦し、木枯らしが吹く季節になればシクロクロス。2007年の引退後は、ショップを営むが、ロンドン2012オリンピックからは、マウンテンバイクナショナルチームのヘッドコーチでもある。後進の育成とスポーツサイクルの将来を見据えた活動に奔走する日々を紹介しよう。

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人を育て "自転車文化"を創造するということ

 東京2020オリンピックまであと1年となった2019年、マウンテンバイクナショナルチームのヘッドコーチとして、鈴木雷太は多忙を極めていた。代表選手とともに、2月のタイ合宿に始まり、9月、カナダでの世界選手権とアメリカでのワールドカップまで10カ国以上を転戦。日本とは気候風土、世情がまったく異なる国で翻弄させられることもあれば、自らハンドルを握り、1,000kmを超える距離を移動することも珍しくない。雷太さんがいれば大丈夫――若い選手たちからの信頼は絶大で、かつて山本幸平選手は「いてくれるだけでいい」とまで言ったという。

「現役時代、海外遠征をさせてもらって、あがいてきたことが、いまの自分の糧になっている。だから、(後進のために)できることはすべてやる」

 まったく、セカンドライフが鈴木雷太ほどエネルギッシュでフルスロットルの「元選手」はいないのではないだろうか。
 現役時代も、いまも、海外遠征から帰国した雷太がもどるベースは長野県松本市だ。ここでまた、雷太はさまざまな顔を見せる。まず、引退後、いくつかの選択肢があるなかで選んだ、サイクルショップオーナーの顔。
「お客さんに直接、自転車の楽しさを、おもしろさを伝えていきたいと思った」と振り返るが、実際2007年のオープン以来、松本のスポーツサイクル事情に良い影響を及ぼし、変化させてきてもいる。そのいちばんのきっかけとなったのが、09年に立ち上げ、実行委員長兼プロデューサーを務める "アルプスあづみのセンチュリーライド"だ。

 松本から安曇野、大町を経て白馬村のスキージャンプ台を折り返す160kmは、残雪を冠った北アルプスの山並みと美しい田園風景、ホスピタリティが評判を呼び、またたく間にエントリー困難な人気大会となった。少しでも多くの「参加したい」というニーズに応えるため、また地元の交通事情にも配慮して、現在では4月と5月の二度、開催されるようになっている。

「今年の大会には、アジア各国から30人近い参加があった。これから、もっと海外からのお客さんが増えるはずだし、それだけのポテンシャルはある」

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 国内外からの参加者が増えれば、観光産業や地域経済にも好循環をもたらす。今年の夏、長野県では官民挙げて「サイクルツーリズムの聖地」をめざす"Japan Alps Cyclingプロジェクト"がスタートし、その代表に雷太が就いた。

「オール長野で、サイクルツーリズムに取り組んでいこう、という仕組みをつくれたのも、アルプスあづみのセンチュリーライドの成功があったからだと思う」

 アルプスあづみのセンチュリーライドでは、さらに、これからの自転車イベントの在り方に一石を投じるような取り組みを始めている。一般に先行して申し込みができるチャリティーエントリー枠だ。チャリティー分の参加費は、地域医療・教育、道路整備、ロータリークラブを通じてのポリオ撲滅活動などに寄付されている。

「自転車好きがつくった自転車好きのためのイベントで終わらせず、向こう10年は、社会貢献を考えてやっていきたい」

 さらに今年は、雷太にもうひとつプロフィールが加わった。地元の専門学校に新設された"スポーツバイシクル学科"のアドバイザー兼講師だ。いまは「スポーツサイクル業界で働ける、広い視野をもった人材の育成」に取り組んでいくときだ雷太は言う。その先に見据えるのは、真の意味での"自転車文化"の創造だ。

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日本に誕生した世界屈指の難コース

 さて、オリンピックである。
 雷太がオリンピックでナショナルチームのヘッドコーチを務めるのは、ロンドン、リオに続いて今回が3度目。興味深いのは「ロンドン2012オリンピックから、マウンテンバイクXCコースの様相が大きく変わった」という話だ。欧米では、マウンテンバイクのレースはテレビ放映のキラーコンテンツ。

「ドローンの登場で、牧場とか丘陵とか、より見せるためのコースがつくられるようになった。森の中だと(ドローンで)映せないからね」

 とくに、伊豆市の日本サイクルスポーツセンターにつくられた東京2020オリンピックのコースは「世界的に見ても、かつてない難易度」だと言う。

「速度が出ないぶん、難しいつくりになっている。日本のお客さんに、世界トップレベルの選手たちが、いまどんなすごいコースで競っているのか、実際に見て感じてもらえるチャンス」

 去る10月6日に、このコースを使って行われたプレ大会"READY STEADY TOKYO"では、男女ともスイス勢が力を見せつけた。日本からは男子4選手、女子3選手が出場したが、男子35位で山本幸平が完走したにとどまった。

「ぼくらも海外チームも、コースをはじめて見せられたのがレースの3日前。そのあと、2日間で4時間だけ試走できたんだけど、そこでもう力の差は歴然としていた。ヨーロッパ勢は、1周通して3人パックで走って最速のラインを確かめていく。日本チームはまずそれができない」

開催国の地の利が働かず、「イコールコンディションだったことが、そのまま結果に現れた」と振り返る。ただ、本番のオリンピックのレースは8月だ。

「トップクラスの選手たちは、日本の夏の暑さと湿度のなかで走った経験がない。その点は、日本やアジアの選手に有利」

 現状、東京2020オリンピックのマウンテンバイクXCに出場できる日本人選手は、開催国枠で男女とも一人ずつと目されている。世界との差はあまりにも大きいのでは、とたずねると、意外にも雷太は笑顔を見せた。

「いや自分は、パリ(2024オリンピック)こそ期待してよ、と思っている。とくに10代の女子のポテンシャルがすごい」

 その期待をつなぐために、日本サイクルスポーツセンターのコースでワールドカップ開催を働きかけていくことも頭の中にあるという。

「10月のプレ大会に来たヨーロッパの顔見知りが、観客が多いのに驚いて『日本にもこんなに(マウンテンバイクの)ファンがいるじゃないか』と言ったんだ。そりゃあ、世界のトップレースをみたいファンは日本にも大勢いるよ、と」

 8カ月後に迫ったオリンピック。世界屈指の難コースで繰り広げられるレースを、日本のファンは心待ちにしている。

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READY STEADY TOKYOでは、期待を寄せる若手女子選手も世界レベルのレースを体感した


鈴木雷太 Raita Suzuki

1972年8月11日、愛知県岡崎市出身。自転車を趣味のバス釣りに行く足にしていた少年時代、テレビで見たツールに魅了されてロードプロをめざす。高校卒業後、ロードのクラブチームを経てマウンテンバイクXCに転向。1995~2007年、契約プロライダーとしてブリヂストンサイクルに所属。99年アジア大陸選手権優勝、2002、05年マウンテンバイク全日本選手権優勝。シクロクロスでも99年に全日本選手権優勝。現在は、マウンテンバイクナショナルチームのコーチを務める。

 

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