【ありがとう沢田時】チームでの11年間を振り返る 〜圧倒的ポジティブマインドの所以とは

今季限りでTEAM BRIDGESTONE Cyclingを退団する沢田時選手。2012年からチームブリヂストンサイクリングの前身となるチームブリヂストンアンカーに加入し11年間、MTB・シクロクロス・ロードの三足の草鞋を履き活躍する日本のトップライダーだ。

そんな沢田の自転車人生をこのチームに所属した11年間を軸に振り返り、プロの自転車選手になるという幼少期からの夢を叶えるまで、アスリート向きなポジティブ思考の所以、これからの目標、チームブリヂストンサイクリングという存在の4つについて、本人の言葉と共に綴りたい。

子どもの頃からの夢を叶え、18歳の時プロの自転車選手としてデビュー

(自転車に乗り始めた頃の沢田)

沢田が自転車と出会ったのは3歳の時。その後、当時のMTBブームに乗っかり父親が趣味でマウンテンバイクを始めた影響で、スポーツバイクに乗り始める。そして、地元滋賀県のスキー場でレースが開催されると聞きつけた父親から勧められ、10歳の頃にBMXバイクで出場したレースをきっかけに、自転車にのめり込むこととなる。

(レースに出始めた頃の沢田と父親)

沢田「その大会で、3位だったんですよ。前の二人はもうめちゃくちゃ早くてばーっと先に行っちゃったんですけど、そこで表彰台に登ることが出来て。賞状とかももらったりしてめちゃくちゃ嬉しかった。そこから病みつきになって。多分、あの時4位だったら自転車はやってないと思います。(笑)」

(2005年 幼少期の沢田とチームブリヂストンアンカーの鈴木雷太)

転機となったこのレースと時期を同じくして、2000年シドニーオリンピックMTBクロスカントリー日本代表でチームブリヂストンアンカーのMTB選手として活躍する鈴木雷太と出会う。

初めて出会ったプロの自転車選手。この出会いをきっかけに、「大きくなったら、雷太さんのような自転車選手になりたい」という夢が生まれたのだった。

その時からブレずにずっと、自転車選手になることを目標に沢田の人生は進んでいく。小学校高学年で既に「このスポーツは持久力がないとだめだ」と気づき、朝早く起きてランニングを日課にする。

習い事の水泳も、中学時代の三年間所属した陸上部も全て自転車のため。一にも二にも持久力、ということで平日は陸上の練習、週末に自転車に乗るという生活が始まった。

そこから同世代では敵なし、2011年、2012年とジュニアカテゴリーで出場した全日本MTB選手権クロスカントリー・オリンピック(XCO)で二連覇を果たす。

この成績が認められ、高校3年生の1月からチームブリヂストンアンカーと契約し、高校卒業を目前にプロの自転車選手としての道を歩み始めることとなる。

2013年からアンダー23カテゴリーでも三連覇を成し遂げた、まさにエリート選手。

挫折は成長のチャンス、アスリート向きな圧倒的ポジティブ思考

そんな沢田にとって初めての大きな挫折が訪れたのは2016年6月、チェコで開催されたMTB世界選手権直前のこと。コース試走中に落車し、左鎖骨と左肘を骨折。世界選はもちろん断念し、怪我のため4連覇のかかるアンダーラストの年の全日本MTB選手権も泣く泣く欠場となった。

ただ、これを挫折ではなく成長のチャンスと捉えるのが沢田の凄さである。怪我の1週間後にはローラーに乗り始め、3ヶ月後にはレースに復帰。同年12月に開催された全日本シクロクロス選手権ではエリートカテゴリーで自身初となる優勝を飾る。怪我を経て、更に強く進化した。

(2016年全日本シクロクロス選手権にて Photo: Satoshi Oda)

そのメンタルの強さ、アスリート向きなハイパーポジティブな性格はどこからくるのだろう。

沢田「僕は身体的に選手に向いていると思ったことはないんですよ。どちらかというと持久系のタイプではありますけど。ただ、身体的にというよりも性格的にスポーツ選手に向いているんだなとは思います。何が起きても、そうそう落ち込まない。正確に言うと、落ち込むことはあるんですが何とかなるという自信があるので。

家庭環境や親の育て方もあると思いますが、一番はやっぱり自分で困難を乗り越えたという経験が自信に繋がっていると思います。全日本タイトルを取ったことはもちろん誇りですが、それよりも怪我をしてめちゃめちゃ調子が悪かった時からそこまで持っていったという経験の方が自分のためになるんだ、と気づきましたね。」

人生、何が起こるかは予測できない。起こってしまった出来事に落胆したり、何が起きるかわからない未来に対して不安を持ったりするのではなく、挫折を乗り越えた今までの経験を自分の糧とすることで、自分なら次にぶつかった困難も乗り越えられると自信を持って向き合うこと。

沢田の人生は常に自転車と共にあるので、レースで勝つことや日々の練習で成長を実感できることが自己肯定感に繋がり、彼のポジティブな性格をより強固なものにしているのだろう。

次なる目標は、3種目での全日本タイトル獲得

沢田は2021年から拠点を長野から三島に移し、新しく始めることとなったロード種目でも頭角を現した。

沢田「この年齢でロードを始められたのは逆によかったのかなと思います。普通だったら選手として脂の乗った年齢なので経験で走り出すような年だと思うんですけど、僕はロードに関しては初心者なんで、フレッシュなんですよね。だから、ここからは伸びしろしかない、というワクワク感があって。新しいことを始めるのはいくつになっても辞めないでおこう、と思いました。(笑)それに、選手生命は長くて40歳位までと考えると、3種目やることでその間に3倍選手としての経験ができるんだから、めちゃくちゃ幸せじゃん、っていう。

2022年11月13日、チームブリヂストンサイクリングでの最後のロードレースとなったツール・ド・おきなわではUCIレースで自身最高位の8位入賞を果たす。

(2022年11月ツール・ド・おきなわ Photo: Satoru Kato)

彼の今後の目標はMTB、シクロクロス、ロードの3種目で日本一になること。唯一取れていないロードの全日本タイトルを獲得することが目下の目標だ。

「あとは、3つの活動を高いレベルで続けていくというのも自分が選手を辞めるまでの目標になってくると思います。自転車って1競技1競技はマイナーで小さいですが、3つ集まればまた違う力が生まれるんじゃないかなと思っているので、自分に続くような選手に、『あ、そういう道もあるんだ』と示せるような選手になりたいですね。例えば今オフロードをやっている選手に、『僕もロードも走れるかも』と思わせられるような存在になりたいです。」

ブリヂストンのジャージに初めて袖を通したときの興奮はずっと冷めない


(2021年全日本MTB選手権XCO)

11年間所属したチームブリヂストンサイクリングは沢田にとってどんな存在なのか。

沢田「自分を奮い立たせてくれる場、ですかね。頑張るのは結局一番は自分自身ですが、頑張ろうと思えたのはこのチームにいられたからだなと思いますし、すごく感謝しています。18歳の時に、幼い頃からの憧れだったブリヂストンのジャージを初めて着た時の興奮は今でも覚えていますし、冷めないですね。ずっと誇りです。」

"自転車のプロチーム=ブリヂストンだった"という自身の憧れのチームでプロ入りを叶え、11年。マウンテンバイク、シクロクロス、ロードの3種目をトップレベルでこなす国内唯一の選手にまで成長した。今年のツアー・オブ・ジャパンでの大怪我からの復活劇での前向きな姿勢に勇気づけられた方も多いのではないだろうか。

年を追うごとに強さに磨きをかけ、圧倒的なメンタルの強さを武器にこれからも3種目で輝き続ける沢田時をチーム一同これからも応援していく。そして、戻ってくる場所はいつでもこのチームにあるということは忘れないでもらいたい。

Text: Lynn Watanabe

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