2020年を振り返る/MTB、チームを信じ全身全霊で勝利を目指した2020MTBチームの喜びと悔しさ

2020年を振り返る/MTB、チームを信じ全身全霊で勝利を目指した2020MTBチームの喜びと悔しさ

(11月/MTB全日本選手権/平野)

信じること、そして行なうこと。TEAM BRIDGESTONE Cycling MTBチームの2020シーズンは、この2つの言葉に集約された年となりました。東京2020オリンピック出場のため、そして全日本選手権での勝利のため、チームは2020シーズンを走り続けました。

photo: Hiroyuki NAKAGAWA, Kei TSUJI, Hisanori UEDA, Team Camera


(7月/CJ-2 びわ湖高島/沢田)

「勝つと決めて勝つ」。MTBチームをまとめる小林監督の言葉です。チームは常にこれを合言葉にしてきました。全員で一丸となり、自分の力を信じ、チームを信じ、そして勝利を信じてできることを全力で行いました。それがチームブリヂストンMTB、2020年の結果です。
4つの項目にまとめました。

●平野が東京2020オリンピック代表のリザーブ選手に
●7月の国内レース開幕から沢田が2連勝、2020年CJシリーズ年間チャンピオンに
●全日本選手権MTBにチーム全員が全身全霊で挑むも平野2位・沢田3位に
●全日本選手権シクロクロスで沢田が4年ぶりの日本チャンピオンに


(2月/アジア大陸選手権/平野 )

●平野が東京2020オリンピック代表のリザーブ選手に


→レポート 【MTB 2020シーズン本格スタート】/UCI-S2 ステージレース平野総合9位、沢田13位に
→レポート 2020アジア選にて平野が粘り2位に、沢田は11位【MTB2020年アジア選手権】

東京2020オリンピックでの日本の出場枠は「1」。1人という日本代表の座を勝ち取るため、平野星矢、沢田時のチームブリヂストンMTB選手は、代表選考の基準となるUCIランキングを上げるため、2019シーズンから海外でのレースを中心に、これまでにないほど多くの国際レースを転戦しました。

しかし3月中旬にUCIがすべてのレースをキャンセルし、代表選考のための戦いは残り20レースほどを残して強制的にストップ。その後レースは中止されたまま6月4日に代表内定選手が発表されましたが、それは平野でも沢田でもありませんでした。日本人として2位だった平野はリザーブ(補欠)選手として選出。ひとつの大きな目標が、次の機会に持ち越されることになりました。


(7月/CJ1菖蒲谷大会/沢田)

●7月の国内レース開幕から沢田が2連勝、2020年CJシリーズ年間チャンピオンに


→レポート MTB沢田が国内シリーズXCO初戦を勝利で飾る【MTB CJ 2020 XCO01菖蒲谷】
→レポート MTB沢田が2連勝、独走勝利を再び【MTB CJ-2 びわ湖高島ステージ】

主に山中を会場とするMTBレースは、他の自転車種目よりも少し早め、7月にレースが開始されました。

長くレースのない時期が続き、過去最も遅い開幕戦に参戦したのは沢田のみ。スタート直後から先頭に躍り出た沢田は、2周目から後続を引き離し独走状態へ。そのままレースを走りきり勝利を飾ります。

次週に続いたレースではスタートから独走、ウイリーでフィニッシュラインを通過して勝利。長いレース休止期間中のチームブリヂストンMTBの過ごし方は、間違っていなかったことを実証できました。そして、その後のレースも全て表彰台に上り、自身2回目の国内CJシリーズ年間チャンピオンを獲得しました。


(11月/MTB全日本選手権/沢田)

●MTB全日本選手権にチーム全員が全身全霊で挑むも平野2位・沢田3位に


→レポート 2020MTB全日本選手権 男子XCO 平野2位、沢田3位に

始まったMTBシーズン、沢田が勝利した2つのレースに平野は出場していませんでした。平野は全日本選手権MTBでの勝利に向け、その一戦にかける走りと気持ちを丹念に磨き上げていました。

チームブリヂストンMTBは、この全日本選手権の勝利を渇望していました。2人の選手はこの大会での勝利のために通常の生活すら犠牲にする覚悟で心身を鍛えあげます。小林監督はその2人を守り、指導し、共に成長の痛みを分かち合いました。

平野のスタイルは、一つのレースに絞り調整しモノにするという、日本刀の渾身の一振りのような鋭さ。平野はチームトレーニングと1か月におよぶ高標高地でのひとり暮らしを繰り返し、自らを極限まで鍛え上げました。己の能力を高めた平野の、今日のフィジカルは最高潮です。


(平野)

勝ちたい、ではなく「勝つと決めて勝つ」。その言葉を追求するチームブリヂストンMTB。選手とチームを信じ、そこで燃え尽きレースを辞する覚悟すら持ったチームスタッフ。勝利への重い責任をともに背負い、みなの心は一つとなりました。

「レース前には、ファンはもちろんですが、友人・知人、ライバルチームですら、これまでにないほど多くの方々がブースにそっと訪れ『がんばってください』と声をかけてくれました。私たちが勝利のために全てを尽くしたことを感じていただいたのでしょう」(小林監督)

激励に訪れてくれた方々に、チーム全体の想いが共鳴したのか。チームに関わる全体が、傍観者となるのではなく、声援も含め己のできることを力一杯行い、選手と共に勝つ。あとはその瞬間をフィニッシュラインで待つだけでした。


(沢田、平野)

しかし、それは起こりませんでした。
沢田はスタートでホールショットを決め先頭に立ちますが、前半に2位へさがり、後方から上げてきた平野と合流。中盤は共にペースを上げましたが、沢田は「今日は星矢さんの方が強い」と、平野の勝利に全てを託しました。

レース後半に平野が登坂区間最速ラップを叩き出し、沢田を置き去り2位に。先行する山本幸平選手(Dream Seeker MTB Racing Team)を追って走り続けましたが、その差は縮まらず、平野は2位で、沢田は3位でのフィニッシュ。
「(脚が)掛からなかった、どうにも空回りするように、掛からなかった」と繰り返す平野。ゴール後、テント内で涙を流し続けた沢田。チームブリヂストンMTBの全日本勝利は、来年の挑戦となりました。


(11月/シクロクロス全日本選手権/沢田)

●シクロクロス全日本選手権で沢田が4年ぶりの日本チャンピオンに


→レポート 『沢田が4年ぶり2度目のシクロクロスチャンプに【シクロクロス全日本選手権】』

沢田がテントの中で流した悔し涙はその3週間後に、喜びへと変わりました。
シクロクロスの全日本選手権に沢田が出場。ライブ中継で12000名が視聴する国内屈指のテクニカルなコースに泥が支配するコンディション。レーススタート程なくして沢田と織田聖選手(弱虫ペダル サイクリングチーム)2人の一騎打ちになりました。

互いに得意なセクションで先行するデッドヒートを繰り返し最終周回へ。意表を突く階段での織田選手のアタックに対し、泥で重くなったバイクを承知でピットに入らない沢田。フィニッシュ300m手前のテクニカルセクションを驚異的なライン取りで駆け抜け、先行したままスプリントでフィニッシュラインをくぐり、4年ぶり2度目のシクロクロスの全日本タイトルを獲得しました。
「これまでの4年間、僕を信じ続けてくれた方々に、心から感謝します」(沢田)


(沢田)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

全力を尽くし闘った全日本選手権MTBこそ勝つことができませんでしたが、他のレースでは勝利を重ねたチームブリヂストンMTBの2020年。来季も平野、沢田、そして小林監督という強い絆の布陣は変わりません。オリンピック出場、さらにはメダルを目指すという目標にも、なんら変わりはありません。

これからもオリンピックでのメダル獲得という夢に向かい走り続けるTEAM BRIDGESTONE Cycling MTBチームに、みなさまの熱いご声援をよろしくお願いいたします。


(平野、小林監督、沢田)

最新記事

Article

前の記事へ 次の記事へ