リオ2016オリンピック 男子ロードレース内間康平・インタビュー全文

ブリヂストン・アンカーの2017年のカタログの中には、リオ2016オリンピックをブリヂストン・アンカーと走った選手たちのレポートが書かれています。男子ロードレースでの日本代表だった内間康平の記事も記載されています。

内間の結果はDNFでした。途中棄権ではありましたが、そこまでにはさまざまなドラマがありました。いったい何があったのか、内間は自身の言葉で語りました。

カタログには紙幅の都合で編集された、オリンピックでの走りを語る内間の、インタビューの全文を掲載します。

【内間康平 リオ2016オリンピック インタビュー全文】


ーーレース当日まで

レースは8月6日の土曜日でしたので、直前の火曜日の8月2日の早朝に現地入り。そこから昼過ぎまで、選手村のパスやらなんやら、普段やらないような手続きとかをしていました。いろいろ済んで落ち着いてからコースの一部をトレーニングしました。脚回す程度に、とは言いつつも適度に強めに踏んだりしながら、時差ボケを解消していきました。

翌日も3時間ほど、コースの石畳区間の上をカラダをなじませるために走りました。時差の調整もありますけど、コンディションを上げるための練習でした。いつもと同じように練習して、翌日の木曜日はレースに向けてさらに強度が高い、ロングの練習を走りました。そこで五輪のための練習はすべて終わりました。調子よく踏めていたので、あとは休んで、本番に向けてしっかりと調整しようと思っていました。


ーー選手村では

選手村での食事も、いろんなものが並んでいて、ボクラにとって特殊でもあったんですが。それに塩分なども気にして食事をするんで、どうしても食べれるものが限られてくるんです。食べたのは、サラダ、肉、蒸し野菜といったところですね。

選手村は、敷地面積も大きい。郊外のマンションのようでした。いくつかのマンションが建っていて、いろんな国が入っているんですが、国同士でまとまって部屋を借ります。ボクラのフロアは日本の選手だけでしたね。

大変だったのは、選手村には監督とメカニックは入れるパスがあるんですが、マッサージャーは20時半までに外に出なくてはいけなくて。それをやりくりしてもらって助かりました。


ーーレース本番、アシストを担うもメカトラで最後尾に

コースは『サバイバル』なコースでした。石畳が多くあって、長い上りも多く、テクニカルな下りもその分あった。ただ去年のプレ五輪の時には、道路わきやコース沿いも汚かったという印象だったんですが、今年は綺麗になっているのに気が付きましたね。

最高のコンディションのなかでスタートしました。今回の走りには使命がありました。幸也さん(同じく日本代表の新城幸也選手)を最初の石畳区間から、きつい登りの前にある登りにかけて前に送り込む、というものでした。そして幸也さんが前にいない時は自分が脚を使って前を引く、ボトルの補給を的確に行うアシストをこなすことを念頭にしていました。

2周めまでは中盤辺りで幸也さんと順調に石畳などもこなしていたのですが、その2周めに入ったところで、僕の前の選手が突然ブレーキ、それにつられて強めにブレーキをしたら、ブレーキングと石畳との衝撃でチェーンが落ちてしまいました。

気をつけなくてはいけないところだったのは自覚していたんですが、外に落ちたギアをインナーに戻そうと思ったところで、石畳に跳ねられて、内側の遠くにまで入り込んでしまってしまって、もう工具がないと外せない状況に。



仕方なく、チームカーを待ちました。チームは28番目だったんですが、もうチームカーの順序自体も伸びてしまっていて、ずいぶん待ちました。バイク全体を交換しました。そこから集団に復帰するため、ものすごい脚を使いました。けっこう大変だったんですが、とにかくやりきりました。

途中、補給所があるんですが、道が細いうえに、補給してくれる人たちが前に出てくるんで、ボトルを取りたいんですが、微妙に取りたくない(笑)。そのためにも、追い上げの前にボトルを目一杯補充して、そこから集団に追いついて。幸也さんにボトルを渡すなどの作業をして。

ーー力を使い切ったところで接触し転倒

集団にもどって、周回をこなしていったんですが、下ってきて海岸線に出る前の登りをこなしながら、最後の登りを集団で超えました。そこで前5番目ぐらいにいた選手が、その下りでなぜかクラウチング体制を取らずに、中切れを起こしたんですよね。速度も90kmぐらい出たんで、ちょっとの差でも開いちゃう。そいつはみんなの怒りをくらいながら下っていって。

そこで10分ぐらいかけてボトルを幸也さんに渡して。最後の周回に入る前に、もう一度ボトルを取りに行こうと思って動いたら、他も同じ考えだったようで、なんと補給所で渋滞が起きちゃったんですね。それでも幸也さんの前に出て、集団の先頭まで幸也さんを風よけになりながら、出し惜しみをせずに引っ張って。

そして上りに入って、わりと使い切っていた僕は集団から少し遅れたんですが、その上りの入り口で、突然チームカーが右から寄ってきて、オッと思って避けたらその瞬間に後ろから選手に突っ込まれたんです。

それで落車して、脳しんとうを起こして頭がふらふらになりました。それでも立ち上がって、5〜6人で走っていましたが、選考集団とのタイムギャップがあって、タイムオーバーになりました。


ーー自分の中で、4年後にも向けた大きな自信

補給でも、上りでも、スタートしてしまえば、レースはあんまり普段と変わりません。ただ、いいメンバーが並んでいるレースなんですが、スタートしてしまえば、いつもと変わらない光景が広がっていました。それこそ、観客はジャパンカップの方が多かったかな(笑)

このリオへの代表選考と言うのは、去年の12月から知らされていました。そのために、チームにスケジュールを特別に組んでもらって、練習も考えてさせてもらいましたし。4月の合宿もあったおかげで、8月6日の当日は、とてもいいコンディションでレースに臨めました。五輪という大きな舞台で、一番よいコンディションに持ってこられたと言うのは、大きな感謝の念を実感したと共に、自分の中では4年後にも向けた大きな自信となりました。

これもいい経験になりましたけど、これが終わったからといって自分のなかで何かが終わることもないですし、この経験を次に活かすために、これからも苦しんでいかないと思っています。

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