1999〜2011年<br>《チーム ブリヂストン アンカー》<br>Team BRIDGESTONE Anchor<br><br> MTB、ロード、トラックで3度のオリンピックにチーム選手が出場、欧州ロードレースへの本格挑戦を始める

《アンカー》ブランドの登場、すべてのロード選手がプロ登録
名実ともにロードでの常勝チームの座を獲得


1999年よりブリヂストンサイクルのスポーツ自転車が、新たに《アンカー》というブランド名にて再始動します。そのリブランドに伴い、チーム名も《チーム ブリヂストン アンカー》に改称されました。


それまでは、実業団選手、アマチュアの選手として走っていたチーム員でしたが、1998年より全員がプロ登録を行い、1999年にプロチームとしての第一歩を歩みはじめました。これは《アンカー》ブランドの広告塔の役割を担うとともに、本格的な自転車競技への真摯な姿勢を示すことを目的とした、浅田新監督による改革でした。


その成果として藤野智一が全日本選手権を制覇しました。チームはロードレースでの勝利をさらに重ね、国内では常勝チームとしての存在感を示します。積極的な海外遠征を行う中で、選手たちは徐々に鍛えられていきます。その中で頭角を表したのが福島晋一、そして田代恭崇でした。彼らは欧州レースでの好成績をはじめ、国内レースでもトップを争う走りを見せはじめました。


また、チーム強化のためには、若手選手の強化も必須でした。そこでロードチームでは国内で初めてトップチーム《チームブリヂストンアンカー》と強化育成のサテライトチーム《エキップアサダブリヂストン》の2チーム体制を敷き、選手強化を始めます。

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