TEAM BRIDGESTONE Cycling HISTORY

東京1964から東京2020へ走り続ける
チームブリヂストンサイクリング

東京1964がすべての始まりだった

チームブリヂストンサイクリングの目の前には、東京2020が迫っている。国内屈指の選手を擁するチームにとって、オリンピック日本代表選手を輩出し、派遣することは名誉であるとともに、義務でもある。そして何より、東京2020は、チームにとって原点回帰でもある。チームブリヂストンサイクリングは1964年、東京でのオリンピックがなければ存在しなかったのだから。

1964年の東京オリンピック。わが国ではそれまでマイナースポーツだった自転車競技は、本場ヨーロッパの選手によるレースが紹介されたことで人気を博した。この情勢を受け、同年ブリヂストン自転車競技部が創部される。当時のオリンピック種目であったロードとトラックに積極的に取り組み、1968年までに日本最高峰の大会での優勝、世界大会への選手派遣を果たすまでになった。レースでの活躍が、観る者に夢を与え、またバイクの知名度を向上させるのは今も昔も変わらない。当時のブリヂストン製レースバイク「ダイヤモンド」はレースを志す多くのライダーに支持されたという。

1970年代半ばを過ぎると、日本の自転車競技人口はさらなる活況を呈し、激化する競争の中で成績を出すべく、自転車競技部はさらなる選手とチームの強化を図る。自転車競技の本場フランスからコーチを招聘し、それまでのトラック・ロードの二軸体制から、ロードレースを主戦場とする方向へと舵を切ったのだった。その成果は1985年ごろから現れ始め、鈴木光広、三谷寛志、藤田晃三らがオリンピックや世界大会のほか、本場ヨーロッパでの権威ある大会に出場を果たし、世界の舞台で戦う先駆者となった。折しも、1990年にロードレースの世界大会が日本の宇都宮で開催され、自転車競技熱が高まるばかりという機運であった。

どの種目でも勝つ、常勝チーム

時代の新しい風向きを感じ取ったブリヂストンサイクルは、1993年にマウンテンバイクのチームを立ち上げる。以来「新しい乗り物」であるマウンテンバイクは、チームの活躍と歩みを揃えるように進化を遂げていく。レースの度に、ライダーとバイクが進化していく黎明期、チームの果たした役割は小さくない。

1998年末、ブリヂストンサイクルはスポーツバイクのトップラインとして「アンカー」ブランドをローンチ。1999年からは「チームブリヂストンアンカー」として、ロードレースとマウンテンバイクの全選手がアマチュアからプロに転向した。その後のチームブリヂストンアンカーの活躍は、国内最強チームの名を欲しいままにする破竹ぶり。1999年は藤野智一がロードレースで、宇田川聡仁がマウンテンバイククロスカントリーで、鍋島健一がマウンテンバイクダウンヒルで日本最高峰の大会を制するという完勝を果たし、新体制チームの船出を祝う鮮烈なデビューとなった。

その後もロードレースでは2001年と2004年に田代恭崇が、2003年には福島晋一が、2016年には初山翔がそれぞれ日本最高峰の大会で優勝し、個人タイムトライアルでは2012年から2017年にかけて西薗良太が3勝を果たしている。マウンテンバイククロスカントリーでは鈴木雷太の2002年と2005年の優勝を引き継ぐように、山本幸平が2008年から日本のトップを決める大会で4連覇。シクロクロスは鈴木雷太が1999年に同様の大会で勝利し、辻浦圭一が2004年から2011年まで8連覇の偉業を成し遂げている。2017年には沢田時が初優勝しチームに久々のタイトルを届けた。

ブリヂストンサイクリングは新たに、原点へ向かう

2018年にはチーム名を「チームブリヂストンサイクリング」に改め、オリンピックを見据えトラック競技に注力することを宣言。早速、日本最高峰の大会ではチームパシュートで勝利。チームエースの窪木は4冠に輝くという圧巻ぶりだ。

歴史あるチームでありながら結果を出し続けているのには、理由がある。それは、ブリヂストンのバイクが常に国内トップ選手のフィードバックを受け、改善と洗練を続けているレーシングバイクであることだ。勝利するための好循環がここにある。

いまチームブリヂストンサイクリングの本拠地は静岡県三島市にある。これは、東京2020のトラックが行われる会場である伊豆ベロドロームに至近の環境だ。選手たちはレースやトレーニングの合間を縫って、三島市での自転車普及イベントに務めている。自転車を次の世代へと伝えるために、レース以外の活動にも心を砕いている。いまから55年前、1964年東京オリンピックのレガシーとして産声を上げたチームブリヂストンサイクリングは、来たる東京2020に、確かな足跡を残すべく活躍を期する。伝統のチームの原点回帰にして大一番がいよいよやってくる。最新鋭のレースバイクを駆り、疾走する彼らの姿が今から待ちきれない。

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GYEONGJU ASTC TRIATHLON ASIAN CHAMPIONSHIPS

上田が大ケガから復活を告げるアジア選勝利

先頭を走り続けるというのは、並大抵のことではない。2008年の北京オリンピック以降、日本トライアスロン界のトップを走り続ける上田藍。出場したオリンピックは3大会。そして4度目のオリンピックを見据える中で、上田は悪夢のようなアクシデントに見舞われる。2019年3月にアブダビで開催されたミックスリレーのバイクパートで、前走者と接触して激しく落車。肺を痛め、レースからの離脱を余儀なくされた。東京2020に向かって少しのロスも許されない中での、手痛い離脱。第一人者として長らく走り続けてきた上田にとって、大切なシーズン序盤での大ケガは重いものだった。リハビリを経て、2019年4月末の世界トライアスロンシリーズ、バミューダ大会で復帰を果たした上田だったが、結果はDNF。いつもの光るような走りがそこにはなかった。その後も、得意の横浜大会、リーズ大会と立て続けにDNFが続き、4度目のオリンピックへの道のりに暗雲が立ち込める。だが、常に先頭を走り続けてきたベテランは、辛い時の乗り越え方を誰よりも知っていた。上田はそのキャリアの全ての期間、自らを信じて突き進んできた。豊富な練習量と強靱なメンタルが、このキャリア最大の危機においても上田を前に進ませる。6月にカザフスタンで開催されたワールドカップでは、水質の問題からスイムパートがカット。上田にとって得意な種目のみでの実施となったが、ここで代名詞の力強いランを見せ優勝。着なれた日本代表のユニフォームをまとい、韓国・キョンジュのアジア選手権のスタートラインに立った上田に、連戦の迷いはなかった。スイムパートを無難にまとめ、バイクパートで上位に躍り出ると、得意とするランパートで一気に先頭へ。独走を決め込んでアジアチャンピオンに輝いた。上田が最も得意とする勝ちパターンが、戻ってきた。復活を告げる勝利と共にあったのは、上田の代名詞、弾けるような笑顔だ。大ケガを乗り越えたことで、肉体的・精神的な強さは一層の充実を見たかのよう。完全復活を果たした36歳の視野には、いよいよ4度目のオリンピックが入ってきた。悔しい思いを味わって来たオリンピックだが、その思いを晴らせるのもまたオリンピックでだけだ。東京2020で、今度こそこの笑顔が見たい。

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TOUR OF JAPAN STAGE8 TOKYO

窪木が日本人として6年ぶりに東京を制す

勝利こそが至上のロードレースにあって、1位以外は敗北だとしばしばラディカルな表現が用いられる。その言葉を最も痛感するのは、おそらく集団スプリントで2位となった選手だろう。2019年のツアー・オブ・ジャパン(TOJ)。日本最大のステージレースに、チームブリヂストンサイクリングのエースとして臨んだ窪木一茂の第1ステージは2位。しかしこれは大会のプロローグ、2.6kmの個人タイムトライアルのこと。勝利こそならなかったものの、1週間のレースの初日としては上々の滑り出しだ。だが、第4ステージ、美濃での2位は、それが今大会初めての集団スプリントだったことを考えると意味が違う。昨年のJプロツアーで通算5勝という圧倒的なスプリント力を見せた窪木にとって、勝利以外の選択肢はない。飯田での少人数の逃げや富士山でのヒルクライムを経て、再びの集団スプリントが予想された東京ステージの前日、伊豆修善寺のサバイバルレースの最中に、窪木はハイスピードの下りで落車に巻き込まれ膝を負傷。レース続行が危ぶまれる中、チームメイトのサポートを得て伊豆ステージを走りきった。そこには、翌日の東京ステージにかける想いの強さがあった。2位のままでは、終われない。

迎えた東京の最終ステージ。首都東京での集団スプリントは、TOJの最後を締めくくる大会の華だ。序盤から断続的に形成された逃げも、チームブリヂストンサイクリングが一丸となって最終周に吸収。スプリント勝負へのお膳立ては整った。この日のブリヂストンは、窪木と黒枝士揮の2名のスプリンターで別ラインからそれぞれ勝利を狙う作戦。そして自らもスプリント力に長ける孫崎大樹が、残り2kmから窪木をプロトンの先頭付近にしっかりとキープし、残り250mからスプリント開始。その速度域からさらに発車した窪木のスピードについていける選手はもういなかった。ライバル選手をマークした黒枝も4位に入り、チームブリヂストンサイクリングとして完璧な形で母国最大のステージレースを有終の美で飾った。

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JAPAN NATIONAL CHAMPIONSHIP TIME TRIAL U23

トラックとロードを両立する新星、今村

チームブリヂストンサイクリングにとって、タイトル防衛のかかる全日本選手権・個人タイムトライアルは、何がなんでも勝たねばならない一戦となるはずだった。しかし蓋を開けてみると、富士スピードウェイのサーキットに降り注いだ雨に翻弄され、エリート男子は、昨年ワンツー勝利を飾ったディフェンディングチャンピオンチームとしては大敗となった。そんな中、ひとり気を吐いたのがU23で出場した今村だ。トラック競技のポイントレースでジュニア時代に世界チャンピオンに輝いた今村は、大器の片鱗を見せる。2019年のロードシーズンを迎え、5月のJプロツアー宇都宮では、並み居る強豪に割って入り、自身ロードレース初優勝を飾った。この勝利は、チームブリヂストンサイクリングのシーズン初優勝でもあった。2位には後方から追いついてきた窪木一茂が入り、チームとしても数の利を活かした理想的な展開を作りあげた。翌6月に栃木で開催されたJBCFでは、またしても今村はロングスプリントを決め優勝、そして2位にはやはり窪木が入り、お互いが顔を見合い祝福しながらのフィニッシュとなった。

波に乗る21歳の今村が「勝つこと」を掲げて出場したのは、全日本選手権U23個人タイムトライアル。最終出走となった今村は、雨で落車をしないよう安全策をとりつつも追い込み、終わってみれば2位に1分以上の大差をつける圧勝を遂げた。ブリヂストンが誇るタイムトライアルバイクRT9は、昨年まで3連覇を果たしていたエリート男子の個人TTこそ敗れたが、U23での戴冠を遂げ依然として全日本選手権で存在感を放った。その数日後に行われたロードレースでは、今村は最終局面での競り合いに敗れ3位。しかし、ロードレーサーとしての高いポテンシャルは誰の目にも明らかだった。トラックで見せる高い資質がロードレースで成功を収めることは、チームエースの窪木がすでに証明している事実だ。今村がJプロツアーで先に挙げた2勝は、共に2位に入った窪木の存在あってのこと。窪木というロールモデルが身近にいることは、なんと今村にとって幸運なことだろう。トラックとロードレースを高いレベルで両立する恐るべき才能がまた一人、チームブリヂストンサイクリングの顔となる日は近い。

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TISSOT UCI TRACK CYCLING WORLD CUP HONG KONG

太田がW杯女子ケイリンで歴代最高位をマーク

高みへと登る、その過程がここにある。香港で行われた2018-19シーズンのトラックワールドカップ第6戦、女子ケイリン。チームブリヂストンサイクリングの太田りゆが、日本人歴代最高位を塗り替える2位でフィニッシュした。陸上競技で培った並外れた運動神経を武器に、未経験から自転車を始め、競輪学校に合格、そしてアジア選手権でチームスプリント3位入賞を果たすまで、この間わずか1年。シンデレラストーリーを地で行く太田だが、いきなり飛び込んだ世界レベルの自転車競技に戸惑い、スランプも経験した。だが太田は煌びやかなだけの選手ではなかった。2017年にチームブリヂストンサイクリングへ加入すると、2018年の全日本選手権女子ケイリンで優勝。全日本チャンピオンの称号と誇りを胸に、再び世界へ打って出る。太田の武器は、爆発的な加速力だ。一瞬でトップスピードに乗せるダッシュ力は、展開の中でレースを作っていかねばならないケイリンにおいてアドバンテージになる。世界のトップ選手が集うワールドカップ。2018-19シーズンの最終戦、香港大会で太田の走りが光った。2度の予選2位通過で危なげなく駒を進め決勝では優勝候補のリー・ワイジーをマークするクレバーなレース運びを見せる。残り半周で最後尾につけていた太田が、最終コーナーで持ち味の爆発力を発揮。大外から一気に伸びを見せ、2位に入る。自身にとってワールドカップの初メダルであると共に、日本人として歴代最高位をマークする快挙を成し遂げた。世界の舞台で戦える強さを見せた太田に、東京2020への期待が多いにかかるが、このレベルで戦うためには得意のダッシュ力に加え、ロングスパートをこなせる持久力が必要となる。2019シーズンに入り、太田の走りはこの方向にさらなる進化を見せている。5月にロシアで行われたトゥーラGPでは、自ら先行するレーススタイルを予選1回戦で披露。太田の目指す高みは、2020年の東京にある。今はまだその高みへと登る途上だ。

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