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アレックス・モールトン
“原点を見つめ、革新するエンジニア”

『私の自転車との恋愛関係は、1956年のスエズ動乱に端を発した石油危機ではじまった。 私は、サイクリングの高エネルギー効率に目覚めた。当時、私はミニとして知られる小型自動車の創造者である盟友 アレック・イシゴニスに協力し、革新的サスペンションの開発に従事するというエンジニアとしての最大の幸運に恵まれた。 以来40年、今日にいたるまで私の自転車に対する愛情は絶えたことはない。』
―アレックス・モールトン 

  モールトン ザ・ホール
ブラッドフォード・オン・エイヴォンの屋敷“ザ・ホール”前のアレックス・モールトン博士とブリヂストン・モールトン・プロト。
 ブリティッシュエンジニア魂

 英帝国騎士称号をもつアレキサンダー(アレックス)・エリック・モールトン博士は、1920年生まれのかくしゃくたる壮年である。モールトン博士は、“発明家”と分類されるのを嫌い、自らを『原点を見つめ、革新するエンジニア』と形容する。先進の気概を抱き、卓越した発想をち密な理論展開で裏付け、実践するエンジニアである。
 アレックス・モールトンは、大英帝国がもっとも偉大であったヴィクトリア女王時代のエンジニアの面影をもつ。ウイルトシャー州ブラッドフォード・オン・エイヴォンの町に繁栄をもたらしたのは、ヴィクトリア時代の傑出した産業人の曾祖父スティーヴン・モールトンであった。彼はアメリカに渡り、ゴムの加硫硬化の特許を得て、エイヴォン川のほとりの町にゴム製造工場を建設し、イギリスのゴム 産業興隆の祖となる。スティーヴンは、町を見下ろす小高い丘の17世紀建築の壮大な館をレストアし、ここをモールトン家の本拠とした。
 当主のアレックス・モールトン博士は、“ザ・ホール”と呼ぶ館に居を構え、広大な敷地内に研究所、超高級自転車の工房、自動車のオフロード・テスト草原を有する。 アレックス・モールトンが名門ケンブリッジ大学工学部キングス校に在学中、第2次世界大戦が勃発した。彼はブリストル航空機会社に入社し、アシスタント・チーフエンジニアとして“センタウラス”空冷エンジンの開発に携わった。


小径車モールトンバイシクル誕生


 スエズ危機は、アレックス・モールトンをして、もう一種の乗り物に近づけた。友人から譲り受けた中古のスポーツタイプの自転車だ。「ビューティフル・マシン!」と感嘆した彼だが、基本を見つめるエンジニアの頭の中には、いくつかの疑問が生じた。乗車姿勢については、ハンドル、サドル、ペダルの形成する逆3角形は、真理であり不変であるとの結論に達した。しかし、大径ホイールでなければいけないのか、鋼管ダイヤモンド・フレームである必然性はあるのか、路面 のショックを吸収するサスペンションが有効なのではないか、などだ。
 種々の形態を検討、計算、試作、テストを重ね、モールトン自転車の原型が生まれた。小径ホイール、高圧タイヤ、高性能・高効率前後サスペンションによる操安性と乗り心地の確保、楕円断面 鋼管をメインパイプとするアルファベットのF字形をした乗り降りの容易で軽量 なステップスルー・フレームの、当時としては非常にユニークな自転車であった。
 1962年に発表されたシリーズ1は、センセーションを巻き起こした。大人気で自邸内工場では需要を満たせず、ミニのサスペンション開発で協力関係にあった自動車メーカーBMCが自社工場内で生産の大部分を請け負うほどだった。 アレックスは、モールトン自転車の将来の発展を図るため、イギリスの大手メーカーに製造権を売り渡したが、これがのちに裏目にでる。1974年、同メーカーはモールトン自転車の生産中止をするが、アレックス・モールトンの商標と特許の買い戻しの申し出を拒絶した。


見果てぬ夢


以後10年間は、次世代自転車の構想と研究の雌伏期間である。やがて商標紛争に解決の兆しが見え、1984年に第2世代“AM”シリーズを発表する。この時点でも、まだ“モールトン”名は使えず、また製品コンセプトも方向転換を余儀なくされた。第1世代と同等の量 産には、莫大な投資と設備を要する。アレックス・モールトンは、自邸の工房内で熟練者の手による精緻な小径鋼管スペースフレームと新型式サスペンションを搭載した超高級車の少数製作の道を選ぶ。
 モールトンは、精力的な開発を続け、AMに加え、矢継ぎ早に“ニューシリーズ”を発表した。自動車サスペンションの研究も続け、ミニ用の改良スプリングの商品化をしている。
 アレックス・モールトンには、見果てぬ夢があった。こころならずも中断したシリーズ1の開発がもし継続されていたら、どんなクルマになっていたろう・・・いま、その夢が“ブリヂストン・モールトン”として実現する。(文/山口京一)
 
   
 
モールトン サスペンション
モールトンは、イギリス民族系大同合併メーカー、BMC(のちのBLMC、BL、そしてローバー)の偉大なるチーフエンジニア、故サー・アレック・イシゴニスの盟友、協力者としてミニをはじめとする一連の前輪駆動乗用車用の先進サスペンションを開発した。イシゴニス、ADO16(1100)、ハイドロラスチック・サスペンションの構造図とともに。
モールトン 航空機エンジン
第2次世界大戦勃発で、モールトンはブリストル航空機会社に入社、アシスタント・チーフエンジニアとして“センタウラス”空冷エンジンの開発に携わった(模型)。
モールトン 初期試作車
1956年のスエズ動乱中の石油危機で、モールトンは1台のスポーツ自転車(左端)を入手、その魅力に憑かれた。翌57年から自らの小径ホイール、高圧タイヤのステップスルー型自転車の研究開発を開始した。初期試作車群。
モールトン 自動車サスペンション
アレックス・モールトン博士の考案した自動車サスペンションの数々のラバー、連結流体、高圧ガス・ユニット。
モールトン 自転車レース
市販されるや否や、モールトン自転車はレースでも好成績を収め、やがて規則で使用を禁止されてしまう。 以後、耐久、記録イベントに挑んだ。
モールトン 市販車第1号
市販型モールトン・シリーズ1は、1962年に発表され、たちまち人気車となる。 しかし、製造権を売り渡した大手英メーカーは、1974年にモールトン車の生産を中止し、 以後10年、アレックス・モールトンの雌伏期が続く。
モールトン 世界速度記録
1986年アメリカのレーシングカー設計者、ダグ・ミリケンは、フルカバー・モールトンを製作、 世界速度記録82.53km/hを樹立する。
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