強くなるための秘訣は
保健体育の教科書にのっていた
西薗良太

RYOTA NISHIZONO
Photo by Kei Tsuji

僕にとって中学高校の体育の授業といえば、数学やら英語やらの合間の息抜きであり、とにかくがむしゃらに身体を動かすものだったかと思う。座学の授業が学期に1~2コマあると、暴れる時間が減ってもったいないと感じるだけで、その中身は学期末のペーパーテストでパスすべき内容のプレビューでしかなかった。

一方で文部科学省も国民の健康を増進し、将来のクオリティ・オブ・ライフを向上すべく、その教育プログラムを組み立てている。。。はずだ。中学保健体育の教科書から一部抜粋してみると、例えば以下のようなトレーニングの原則が並べられている

1.意識性の原則運動の重要性を理解し、実際に自分がなにを鍛えようとしているのかの意識を強くもつことで効果が高まる

(中略)

6.過負荷の原則負荷強度が通常用いているものより強くなければ、身体の適応性を利用してパフォーマンスの向上を期待することができない

7.特異性の原則負荷、スピード、反復回数など、トレーニングの特異性に沿ったパフォーマンスが向上する

保健体育のテストを受けていた当時にわかっていなかったことが2つある。

a. 上の原則がほとんど飯の種になって毎日考えるようになること(職業的なアスリートになること)
b. あたりまえに思える上の原則の奥深さと実態をほとんど理解していなかった

ということだ。

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 アスリートなら、自転車選手なら誰もが日々「過負荷の原則」に直面する。ある峠のタイムを限界まで攻める、トラックのタイムを縮めることにトライする、などと時計と戦うのがわかりやすい。
 そこには既に前提が潜んでいる。そしてそれに根拠があるのかを問わなくてはならない。ここでいう前提というのは、「ある区間を走る時間を計測することで、負荷というものが計測できる」という前提である。これは怪しい。例えば追い風が吹いてある日は圧倒的にタイムが出るかもしれないし、気圧が高くてろくにタイムが出ない日もあろう。
 おそらく最近の自転車選手なら、そのためにパワーメーターが必要なのだというだろう。パワーメーターを使えば、風や勾配を気にすることなく、脚がペダルに伝える力と速さを計測することができる。これを「負荷」とすればよいと考えるかもしれない。
 それでは10分間300Wが限界の選手が、290-300Wと限界ギリギリをついた練習を常にやっていればずっとパワーは上がっていくのだろうか?そうとは限らない。どこかで頭打ちがくる。
 そういうとき、「過負荷の原則なんて嘘じゃなかろうか。少なくとも自分は生物としての、物理的な壁にすでにぶちあたっているのではなかろうか」とどうしても考えてしまう。

 ほとんどの場合それは嘘だ。あなたはおそらく持てるポテンシャルをすべて活用していないし、あなたがプロ選手で「相当な」年齢に到達していなければ、確実にまだ伸びる余地はあるといえる。
 僕はこのポテンシャルについて何度となく考えてきた。それは2013年に、プロコンチネンタルチームであるチャンピオンシステムサイクリングチームに所属していたときに特に痛切に感じられた。9月になってチームの継続が消え、自分の選手生活に一区切りをつけようかと考えた。おそらく、自分はまだ選手としてのポテンシャルを使いきっていない。身体的には20台前半でピークを向かえ、後は経験のみで選手は強くなっていくというけれども、身体的にすらまだピークは来ていない。だけど、この日登った坂のタイムが、パワーが生涯で一番強かった日になるのかもしれない。。。2013年の秋はひどく感傷的だった。
 幸いにも2015年にアンカーに戻って選手として復帰してから、あっさりといくつかのベンチマークを塗りかえ、2016年にはTOJでどうしてもこれまで破れなかった富士山42分の壁も破ることができた。32歳の増田選手と一緒に。

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 最近、「超一流になるのは才能か努力か?」(エリクソン)という本を読んでいて、ほとんどすべての分野で「過負荷の原則」が成立することを学んだ。そして「限界的練習」の幅広さをについて考えることになった。
 例えば、絶対音感は広く生まれつきのものだと受け入れられていると思う。もっているひとはもっているものだし、もっていないひとはもっていないものだと。だが、2014年の実験で24人の2歳から6歳の子どもに対して、システマティックなトレーニングを施したところ、全員が絶対音感と認定される能力を身につけ、これは否定された。身体の大きさや比率といった比較的遺伝的性質が強いものは確かにあるが、少し複雑なスキルになると、多くのことが「限界的練習」によって向上することがわかってきている。
 これは主に脳の可塑性によるもので、1990年代以降の研究によって、脳は成人してからもかなりの適応性があり、それゆえにわれわれは能力を自らの意志でかなり変化させられるということが明らかにされている。

 問題になるのは何に負荷をかけるべきなのかは簡単にはわからないところだ。自転車のような単純(にみえる)動作でさえも、いくつもの要素に分解できる。300W10分から310W10分に到達するための練習は、300W10分を繰り返すことではないかもしれない。実はペダリングスキルに問題があるのだが、単に300W10分をやるだけでは、ペダリングスキルを実現するための、脳のイメージ能力には70%の負荷しか与えることができず、脚を速く回転させる練習によって100%の負荷を与えられるのかもしれない。(特異性の原則でもある)もしくは筋力が実は不足しているのだが、単純に300W10分の練習ではやはり不足であり、ひどく重いギヤを使った練習こそが「限界的」練習なのかもしれない。

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 とりわけ難しいのは、「限界的」な環境を作りにくいスキルが存在することだ。レーススピードでのダウンヒルや、ハイペースでの平坦での一瞬のやりとり(どれぐらいのタイミングで選手の背中を乗り換えるか?シフトするかしないか?)など。世界で最も予算があるといわれるTeam Skyはこれに拡張現実(AR)が利用できるのではないかと考えているようだ。つまり、特別に作られたある種のゲームがダウンヒル能力やチームTTの力を押し上げてくれると期待しているという。もともとフライトシミュレーターや、車のバーチャルリアリティゲームなども、現実の飛行機や車の運転技術に貢献していることを考えると無理からぬ話だ(自転車の繊細さがゆえに、もっとずっと開発は難しい)

 もう一つの困難は、どの部分について「限界的練習」をなすべきか、その実現方法を考えるということが、かなりタフな知的作業であることだ。コーチというものはまさにこのために存在するーーー第三者としてどのような部分に負荷をかけるべきか、思考を外注する。

 特殊な環境に偶然触れることができたがゆえに、「限界的練習」を無意識に繰り返すことになることがある。小さい頃から楽器が身近にあった音楽家、優れたコーチのいるサッカーチーム、政治家の親をもつ政治家etc。そしてその「限界的練習」を意識せずに複雑なスキルを身につけたような人物が、他人をみてよくいうセリフが「センスがない」である。多くの場合これをいわれた人間は意気をくじかれ、「そうか、おれはセンスが無いのか」といってしょんぼりする。たまに執念深く自分にないスキルの正体を見極め、時間があれば積み重ねによって追いつこうとし、時間がなければ他の点で必死でカバーしようとするしつこいタイプの人物がいる。僕は後者である。

西薗 良太
生年月日:1987年9月1日
身長/体重:170cm/62kg
鹿児島県出身
2011年東京大学工学部計数工学システム情報専攻 卒業
2011年よりシマノレーシング、ブリヂストンアンカー、
チャンピオンシステムを経験し2013年をもって引退。
2015年より再度ブリヂストンアンカーで現役復帰を果たし、
2012年以来、2度目の2016年の全日本タイムトライアルで全日本チャンピオンに輝く。