あんかーちょうちん
宮澤崇史

ANCHOR-CHOCHIN
クビになったオレがしたこと
vol.2
Photo by Kei Tsuji

あんかーちょうちんは、往年のブリヂストン アンカー チーム員と一緒に一杯ひっかけ、それっぽい話を聞き出すコーナー。今回は宮澤崇史さんの世界を垣間みる、その第2部です。

なんとかチーム入りしたものの、脱臼や自転車の盗難から始まったブリヂストン アンカーチーム入り。念願だった海外レースで走る機会は手に入れましたが、その在籍時代には、なかなか成績は出せなかったそう。そして2年の活動の後に、チームを去ります。

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膝痛に悩まされ、成績を出せなかった第1次チーム時代

——シーズンスタート前から、ものものしかったアンカー入りでしたね。

結局チームには2年いましたよ。でも成績も、2年間出なかった。大変だったんですよ。膝が痛くて。肝移植で体を動かせない時期に、大腿四頭筋の筋膜が緩んで、筋膜が膝の所で硬くなって膝痛を引き起こしていたんです。その膝痛が治らなくて思ったように走れなかったですね。

——それが2002〜2003年ぐらいですよね。チームは楽しかったですか?

廣瀬佳正(現宇都宮ブリッツェンGM)と一緒にレースに行く事も多くて、毎日をただ必死に走ってる。フランスの生活を楽しくするために、バカなことをたくさんしてきました。
それこそね、彼がうちに泊まりに来て、朝起きてズボンを下げて普通にトイレから出てきてなんてギャグを普通にやってましたからね。

——フランスには行ってたんですよね?

それがアンカーチームに入る目的でしたからね。フランスのレジョナル(地方大会)では4勝しましたけど、ナショナル(アマチュアトップ大会)では全然勝てなかったですね。

で、その2年間の最後に、西湖でレースがあって、モリさん(森政和さん)と、タイチ(鈴木太一さん)と、カズオ(井上和郎=現ブリヂストン アンカーチーム員)とオレで出たんですね。普通にスタートするライダー達の、1分後にスタートして前を追う、というハンデで付きでね。

——なんでですか?

アンカーの選手が市民ライダーと一緒に走って勝っても意味ないでしょ! ハンデがあるくらいがちょうどいい、っていう浅田監督の考えだったと思います。

でそのレース、アンカーの育成チームがガンガン飛ばしてすごい速くて。結局距離にして47kmぐらい追っかけて、オレでなんとか優勝した。そこで契約切れてクビになったんです。

BSアンカーをクビになって、フランスのルアンに行って、ルアンで1年生活してて。そのときもなかなか勝てなくてね。でもその年にね、思ったんですよ。膝の痛みがね、これまでなんか、シーズン最後にはなくなってるんです。それで、ひらめいた。

「これ、オフ作んなければ、ずっと膝痛くならないじゃん」って。

——(笑)!

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チームをクビになり誘われた合宿、涙で浄化し勝利に覚醒。

それでずっとオフ作らないまま乗り続けて、そしたら次の年にまあまあの調子でスタートできた。膝痛は克服できたんだけど、やっぱり勝てなくて。

そんなときたまたま晋一さん(福島晋一=元ブリヂストン アンカーチーム員、現NIPPOヴィーニ ファンティーニ監督)から「フランス中部で合宿するけど来ない?」って連絡が来て。自腹で行ったんです。

その合宿では、浅田さんから練習メニューが出てたんですけど。そんなの全部無視して、とにかく全開で走っていたんです。とにかく全開ですべての日を過ごす。これを繰り返していて。

なんかね、その最後の日のね、最後の峠でもがいて、頂上についたら、脚がホントに動かなくなっちゃってね。泣きながら帰ってきたんです。なんかね、精魂尽き果てた感じ。粉も出ない感じになって。

この体験が、オレの人生における、全てのターニングポイントになったね。
ここで泣いたことで、何かが変わった。というのも、その2週間後のナショナルレースで優勝したんです。幸也に(新城幸也選手)にもらった縁起のいい安全ピンで付けたゼッケンでね。

——クビになって、成績出なくて、誘われた合宿でオールアウトして、全部涙で浄化して、そこで悟った神々しいモーメント。いわゆるブレークスルーですね。人生のアタックが決まったような。

その時、浅田さんに「ナショナルのレースで勝てたら復帰していいよ」って言われていたんで、それでなんとかチームにもう一度復帰できることになったんですよ。

一応決定してから日本に帰ってきたら、埼玉国体があったので、そこでも優勝した。埼玉はアンカーの地元だから盛り上がってくれて、それもあってチームに戻れてね。「そのかわり、一年しかチャンスないよ」って浅田さんが言うから、オレは「一年もあれば十分です」って。

——2度めにチーム入りした宮澤さんはすごかったそうですね。もう勝ちしかないみたいな。

その後に、ツアー・オブ・タイランドで優勝してから、勝ちが止まんなかったですよね。2004〜05年ぐらいのころかな。あの時は練習しましたね。相当しましたね。

で、そのもうもう一度入った年はおおかた、晋一さんのフランスの家にいたんです。結局リスクのない生活に発展はない、って思ってたんですね。
確かにみんなリスクを背負ってるんだけど、そのリスクって何? って考えが出てきたんです。

つまりね、生活基盤的なところって、生きる上で必要ですよね。そこを自分で成り立たせるって結構大事ですよね。それなのに、その基盤をおんぶに抱っこでいたとしたら、そもそもダメなんじゃないの、って思って。

チームがお金を出してくれて、生活できる家があるかもしれないけど、自分の生活ってのは自分でお金を払って、交渉して、自分でつくりあげるものだ、っていう意識に変わったんですね。

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浅田監督の『メヂカラ』を獲得すべく眼力トレーニング

そこから変わりましたよね。すごく変わった。浅田さんの目つきをですね、すごいこう、お手本にしたんです。

というのは、ボク「眼力(メヂカラ)がない」って言われたことがあるんです。それを聞いて「これってスポーツ選手として絶対マズいな」と思いましてね。

世の中の仕事できる人間って、眼力があるんですよ。特に自分で切り開いてる人間って。そういう人になりたいって思ったら、メヂカラ トレーニングって必要なんですよ。ほら、物事はカタチから、だから(笑)。

で、眼力のトレーニングをしたんですよ。浅田さんの写真を見ながらね。毎日毎日、もう毎日。

——浅田さんに学ぶメヂカラ! 一体どうやるんですか。

人と話すときは、ちょっとアゴを引いてね。相手を睨みつけるような、ボーっとするような感じで、「オレの夢ってこうなんだよねっ!」っていう力を目の中に込めるの。

今話している人の先に、自分の夢を置いて、相手を見ているようにその向こうにある夢を見つめる。これをするトレーニングだね。そうすると、いいんじゃないかと、浅田さんを見て、オレは感じたの。その感じたってことが大切なの。

——なるほど、相手を見ているようで、その向こうを見ていると。浅田さんその傾向あるかもですね(笑)。

でもそういうのが人の信用を得たり、その人の本気度をきちんと相手に伝えたり、っていう内面的な意識の強さが対外的な印象といったものに繋がると思ったからね。

そもそもね、生きるって、なに? ッてことに気がついている人って日本では少ないと思うんです。自分が生きるために必要な最低限の生活をしたことある人間って、日本では特に少ない。

あなたがこの地上で生きるために必要な最低限ってなんですか? って考えた時に、必要なのはそれこそ、食事だけでOKなんですね。じゃあ食事って何かって言えば、生きているものを頂く、そこに生えているものをイタダクってことなんですよ。ものすごく簡素なことなんですよね。

選手として生きていく上で、食べるものを選びますよね。何を選ぶのかってことなんですよね。例えば野菜って、どうやってできているのか。まず種があり、土地があり、水があり、太陽がある。当たり前なんですが、つまり土地を味わうってことなんですね。

——なんか話が突然デカくなって、よくわからないです。

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この土地を味わうってのがとても大事で、自分の半径何キロ以内の中でできたものを味わうっていうのは、その大地から湧き出るエネルギーを食べているんだ、っていうこと。こういった感覚を感じる、感じることが大事なんです。

これは、ものすごく宗教的な観念かもしれないけれども、食べるものが近ければ近いほど、自分にとってものすごく意味のあるパワーなんです。で、生き物も、どうしてこれが自分の口に入るのかっていうのを知るのが、自分にとって意味のあることなんですね。屠殺されて、自分のもとへ来て、それを頂いている、それを感じることでの感謝の気持ち。それが自分にとってものすごいエネルギーになる。

そういった、いま自分が生きている中での一つ一つの出来事にどうエネルギーを頂き、どう感謝するのか。そしてそのことに自分は、どう還元していくのか。その還元こそが選手としてのパワーであり、モチベーションであり、勝つことなんです。つまり狩人ということなんです。

——やっと話が自転車らしくなってホッとしました。

ボクね、19、20才の頃にイタリアにいた時に、毎回同じもの食べさせられたんです。毎日毎日、鶏肉か豚肉のグリル。そういうのにすごく疑問を持っていたんです。こういうのを食っているのは、精神衛生上良くないし、結果なんか出ない。でも周りはそれが正義だと信じ込んでいた。

でもオレはイヤだった。選手として成り立つ上で、どう自分が勝利に対してモチベーションを持つのか。狩人として、レースに勝つ距離感というものを作り上げていくのか、ということになってきた。

自分が得意なものを武器とするため足りないものを明確化。

——『レースに勝つ距離感』、ってどういうことですか?

勝利と自分の力との温度差ってこと。自分自身を知ること、自分自身の生活を良くすること。その、ただ生きるだけではない、勝利に対するモチベーションを保ち続けること。

あの時って、浅田さんを納得してもらうことが目標じゃなかった。もっと先を見ているんです。自分はこの世界でどこまで行けるんだってとこしか見てない。だから、今ここに対して満足を求めていない。

自分の人生の終着点って、最終電車はいつ出発するんだろうってことしか考えてない。どう人生を終わらせるかってことしか考えてない。

そもそもなぜ自分は自転車に乗っているのか。べつにチーム員であるというのは、自分にとっては1ステップでしかない。そういう先を見ている自分が今、ここでなにをすべきなんだろう、とすごく考えていたんですね。このころずっと。

自分の立ち位置が曖昧だと、自分の評価はなんとなくしかできない。本当にそうなのか、それはわからない。ダメって評価されたら、ダメということで、しかたない。そのダメがイイに変わるのはなんぞや、と考えるのが大切であって、過去の自分と比較することではないんです。

そのころって、パワーメーターなかったでしょ。そういう意味で、自分を客観的に評価する指標がなかったんです。自分はこれをやらなければ評価されない、それだけでしかなかったんです。

——25歳ぐらいに、そんなことばっかり考えてたんですか?

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『誰かに評価される』ってことを、形にすることにものすごく時間を割いていました。例えば、なぜに自分はそれができないのか、自分はなぜこういう動きができないのか、というのを能力と比較して、足りないものを明確化するということしか考えてなかったです。

自分が得意なものを武器としてそのレースで発揮するためには、何が足りないのかというのを明確化していたんですね。

ボクはスプリントが得意だったので、ゴールまで行けばなんとかなるっていう算段だったんです。フランスのレースを走っている時にも、スプリントポイントを獲っていましたし、その脚があれば絶対勝てるって言われたんですよね。

だからそこに集中して、レースを組み立てるってことをやっていたし、そういう、とにかく誰かに言われたことをカタチ化するってことに、ものすごい時間を割いていた。

オレ、実は藤野さん(藤野智一さん=元BSアンカー チーム員、元チーム監督)とか、橋川さん(橋川健さん)から、技術的なこと、あんまり学んでないんですよね。

——うは、こういう黒い話を聞きに来てるんですが、実際始まるとドキドキしますよね。

あのね、「アシストとしての自分は、チームへ何をすべきか、にコミットすべきであって、自分が結果を出すために走るわけではないと思うんですよ」、って橋川さんに言ったら、全否定されてね。「絶対違う、お前はチームに結果を出すために走らなければならないんだ」って言われた。チームの中の自分に求められているのは、エースを勝利させるために100%コミットしなさいってこと。

でも自分は、将来自分がエースになるために、今の年齢では脚を作って、レースの展開を作って、どこまでも脚を使い続けるのこと、これこそが自分の使命だという考えを持っていたんですね。

だから、橋川さんが言ってた「お前はチームの勝利のために走らなければいけないんだ!」っていう意見には絶対違うって思っていた。今でもそう思っている。

——いよいよ宮澤さんの口元は怪しくなり、話も怪しくなってきますが説得力を増していきます。生きていくために必要なコミットメント、そしてそのためのテクニックを宮澤さんが語ります。

次号、裸にしたらなんか神々しく見える宮澤さんの酩酊至言「お前は自分の生きざまにコミットできているか?」。瞑して待て。

<Vol. 03へ続く>

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宮澤崇史
bravo代表。2008年北京五輪ロード出場、2010年全日本選手権ロード優勝。日本を飛び出て主に海外ロードレースを主戦場として活躍。肝臓移植から第一線の選手へと完全復活を遂げた唯一とも言えるスポーツ選手。2014年に選手引退後も、監督業、公演、レース解説、TV出演など幅広く活躍。その独特の表現と信念、経験と温度感、そして説得力に吸引力を加えたトークと知識で幅広く自転車レース界を飛び回る。
http://bravo-tm.com
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取材協力/ホルモン道場源氏
アンカーチーム員に長く愛され、 勝利の喜び、悔し涙といろんな悪口を言葉通りに立ち込める煙に巻いてきたホルモン焼き屋。そのホルモンはアンカー選手の血となり肉となり数々の勝利を共にメイクしてきたよう。
埼玉県上尾市谷津2-4-5 TEL: 048-773-9222
※飲酒運転は自転車であっても違法です。自転車の飲酒運転は絶対にやめましょう。