NEO-COT ~日本が世界に誇れる、最高のクロモリフレーム~

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クロモリという素材の特性を最大限に引き出し、クロモリフレームとして世界最高基準の性能を実現したネオコット。その性能の実現はもちろんですが、そのデビューであった1990年台初頭、その性能と独自形状を、本当に理解してもらえるまでには、すこし時間が必要でした。ネオコットには、開発の先にあった、その性能を伝える努力を行った人々の熱意も込められているのです。

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低い評価で迎えられた、ネオコットのデビュー

理想的なクロモリフレームの形状、製作方法を求めて生み出されたフレーム、ネオコット。その核となる技術であるバルジ成型が作り上げた、ラッパの様な形にふくらまされたチューブ形状から、開発当初はそのフレームを「パラボリックフレーム」と呼ばれていました。 チューブ側面がパラボリック局面を描くように変化していたことから名付けられた名前です。

このパラボリックフレームは、1990年の東京国際自転車ショーでプロトタイプが発表され、さらに1年ほどの期間を経た1991年7月に、ネオコットの名を関した初の完成車が発売されます。この第1号機の名前は「ワイルドウエスト・ネオコットDX」。スポーツ自転車として世界的に流行していたMTBとして、デビューを飾りました。ネオコット理論は、当時MTBが太いチューブへと変貌を遂げていた「オーバーサイズ」化(今となってはすでに標準的な規格ですが)に対抗するための秘策だったと言うわけです。

しかし、デビューしたネオコットMTBの評価は、大変に低いものだったのです。その理由を、渡部はこう語ります。

「このネオコットMTBは、悪路を走る丈夫なMTBとして、その『強さ』を大きくアピールしていたんですね。なんですが、1990年頃の当時は、MTBの世界でも『軽量化』というのが主流になりつつあったんです。『強い』『丈夫』を売りにしたネオコットのMTBは、この流れに乗ることができず、低い評価をもらうことになりました」

この軽量化の流れの中心にいたのは、当時のMTBトップブランドとしても認識されていた伝説的なフレームビルダー、トム・リッチーだったのですが、この流れの中にはまた、こちらも伝説として今も語り継がれる、グラント・ピーターセン率いるブリヂストンサイクルUSAがアメリカでのみ販売していたオリジナルフレームたちもありました。

ですから、悪路を走るための丈夫さ、を強調したネオコットはあたかも、自分の子どもに「そのフレームは、時代遅れだよ」と言われてしまったようなもの。ネオコットは、生まれた直後から、なんとも皮肉な状況に身を置いていたのでした。

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ロードフレームの開発、「伝えるべきはその熱意」

しかしこの低い評価をバネに、ブリヂストンサイクルは、次なるネオコットモデル、ロードバイクの制作にとりかかります。ものづくりに対しての誠実さ、そして性能には自信がある。しかし、MTBでの失敗を繰り返さないよう、ネオコットの誇れる特徴を確かに伝えていこうという、今で言うところのマーケティングを大切に考えました。

さらに、当時ブリヂストン レーシングチーム員であった藤田晃三が、1992年夏、ネオコットのプロトタイプフレームを駆り、バルセロナ五輪に出場します。この実績で自身をつけ、渡部たちネオコットチームは、同年年末に、ネオコット・ロードフレームの正式発表へと臨みます。

「1992年12月2日、このネオコットのロードフレームの展示会を、このフレーム1本だけのために行いました」。

・クロモリフレームとして、すべてを極限にまで絞り込めたこと。
・軽く、そして強く出来たこと。
・物理的な理想というのをコントロールし、実現できたこと。
・クロモリフレームの作り方として、世界最高水準であること。

そういった事柄を伝えるため、形状理論を噛み砕き、プレゼンを練り、冊子を作った。試作プロトタイプはもちろん、開発の中で壊してきたフレームも存分に見せました。

伝えたのは、ネオコットの軽さ、剛性、そして形の美しさです。形状加工の容易いカーボン素材が全盛の今でこそ、これらはロードバイクを語る上で、必ず出てくるキーワードではりますが、そもそもクロモリを使うフレームとして形状を理論化し、具現化していたフレームメーカーは、この時代に他になく、今もありません。

「開発の考え方と熱意を見せたんです。とにかくネオコットの考え方を理解してもらいたかったんですね」

というのも当時、ロードレーサーの市場を大きく分けると、『外車/特にイタリア車』、『ハンドメイド車』軽快車も販売するような『国内大手メーカー車』という三つに分類されていました。そして自転車プロショップとしても『国内大手メーカー車』は、一般店との区別化のため、実は扱いたくない商材だったのです。しかしネオコット独自のスタンスと、突き詰められた製品の力とを、存分に表現したこの展示会以降、一人、また一人とネオコットの『理論』と『形』のファンが増えていきます。

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ネオコットは、すべてがメイドインジャパン

ネオコットの制作過程に付いて、渡部はこう述べます。

「ネオコットのフレームは、すべて私どもでパイプから、上尾で作っています。パイプメーカーが買っているであろう、パイプの原管を買って、ネオコットのパイプに仕上げているわけです。ポジション的にはパイプメーカーさんといっしょなんですね。使うパイプを、我々自身でつくる。パイプ加工メーカーでもあると」

独創的なパイプ加工こそ大掛かりな機械によって行われる作業ですが、フレームへと仕上げていく加工、溶接といった工程は、ハンドメイドフレームと呼ぶにふさわしい、ブリヂストンサイクルの職人による高い技術と経験により、上尾工場内で行わます。

細かく調整したのちに、必要最低限のロウ付けで、一本一本溶接します。社内でも限られた熟練した職人しかできない作業。その結果としての乗り味は、ティグ溶接のフレームよりしなやかです。

「我々は鉄という素材をどこまで鍛えられるかということを突き詰め、ここまで鍛え上げたんですね。他から見れば『あんなことするぐらいだったら、もっと軽いフレームがアルミでできるじゃないか』と思われたかもしれません。他のみなさんが途中で限界を感じて、アルミやカーボンに転向しましたが、我々は、鉄にこだわり続けたというわけなんですね」

現在、アンカーの設計に携わる担当者は、ネオコットについて、こう述べます。

「力を受け止めたり押さえたりというための考えが、よくわかるんですね。黄金比というか、理にかなったものというのは美しく見えるんです。軽さ、強度、剛性、その理想を追い求めてできた、他に類を見ない美しさだと今も自負しています」

今も、日本の古き良き、そして真面目なものづくりを体現するやり方で、ネオコットは作られています。理想を追求し、それを確かな品質で具現化し、クロモリ素材の最高の性能を引き出したフレーム、ネオコット。日本人が産み出した、世界に誇れる最高のクロモリフレームです。

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