あんかーちょうちん
福島晋一

ANCHOR-CHOCHIN
福島兄弟の活躍、お兄ちゃん苦渋の決断
vol.2
Photo: Kei TSUJI

創立50年以上の歴史を持ち、日本トップチームの座を保ちつづけることを至上の命題とするブリヂストン アンカー サイクリングチーム。その長い歴史のなかでチームに数々の勝利をもたらした名選手から、当時の裏話をお酒の力を借りて引っ張り出すコーナーあんかーちょうちんです。

今日のお相手、福島晋一さんをフランスから呼び戻したチームはその後、2003年の晋一さんによる全日本優勝に代表される快進撃を初めます。その原動力となったのが、晋一さんと、弟さんである福島康司さんによる兄弟ユニット(?)「福島兄弟」の活躍でした。

晋一さんのレース人生を語る上で欠かせない人物、康司さんをフランスに呼んだことから、その全ては始まりました。あんかーちょうちん・晋一さん第2回は、今なお日本はおろかアジアでも、伝説のように語り継がれるフクシマ・ブラザーズの結成と活躍、そして終焉までに迫ります。

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勝ったのに怒られた男・弟編

——弟さん、福島康司さんの話、ついに出てきましたね。晋一さんのレース人生には、切っても切れない存在ですね。では康司さんの話も聞かせてください。彼はどうやって選手になったんですか?

コウジはね、陸上競技をしていたんです。それで高校2年のときに、3000m障害で県の新記録を出したんですよ。当時沖縄に住んでいたんで、沖縄県のね。陸上で華々しい成績を挙げ、大学でも陸上を続けたんですが、そこで膝を故障してしまい、マネージャーみたいな役目になったんです。

でも、それもあんまりよくなかった。練習中にタイムを取り忘れるなんてのはしょっちゅうの話。『先輩、あと2周ですー』『2周じゃねえ、3周だよ!』なんて怒られたりして、うまくいかない。結局それで競技から離れ、大学もあまり行かなくなって、日々お酒飲んだりパチンコやったりみたいな生活になっちゃったんです。

たまにパチンコで勝つと、その景品をみんなにプレゼントしたがるんですよ。「お父さん、今日はパチンコで腕時計の景品を勝ったよ!」。そんなのもらっても、お父さんは全然嬉しくもない(笑)。

それでも6年かけて大学を卒業して、そのときに聞いたんですよ、「コウジ、お前なんかやることあるの?」。そしたら「お兄ちゃん、なんにもないよ!」って。そうか、そうなのか、と。

以前、陸上部マネージャーだったときのコウジが、自転車の実業団レースに観戦に来たんです。そこら中の選手に声をかけまくって、まあそんなんで一躍有名人ですよ。そのレースに浅田さんも監督として着ていたんですが、コウジはもちろん浅田さんにも声をかけた。で、陸上でそれなりの成績を出していたことを伝えた。それを聞いた浅田さんが「キミ、自転車やってみる気ないか?」って言ったんですよ。

——(チーム担当M)浅田さん、言っちゃったんだ。。。

それもあったので、浅田さんに「うちの弟が、自転車やりたいって言ってるんですけど、浅田さん、彼を自転車に誘いましたよね?」って。そしたら浅田さんはありがたいことに、リマサンズ(浅田さんが当時所属していたチーム)に入れてくれたんですよね。自転車なんてやったことない男を、1年目からフレームまで供給してもらって。

リマサンズで走りながらも、新聞配達なんかをしながら稼いでいたんですが、これもうまく行かなかった。200部持っていけばいいところを、間違えて400部山積みにして自転車に積んで。しかもそれが雨の日で、転んじゃうんです。それでクビになるんですが、転んだときに崩れた新聞を拾ってくれた他の新聞屋がいて、そこにまた再就職して。結局そんなので転職を重ねて、東松山の新聞屋さんを制覇しちゃったっていうぐらいでした。そんな話ばかりで。

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——それで自転車に乗りはじめて2年後に、康司さんは晋一さんのいるフランスへと渡ったんですよね。その経緯は?

弟はね、当時ラバネロ(チームラバネロ)にいたんです。そのときに、コウジが海外で走りたがってるんですよと浅田さんに相談したら「兄弟は同じところにいないほうがいい」って言うんですね。なのでフランスじゃなくてスペインでどうだと。それで当初はスペインに行く予定で、スペイン語教室とか通ったりもしたんですが、だめになっちゃったんですね。

そこでボクは当時フランスで面倒を見てくれていた84才のベルナールおじいちゃん(当時フランスで晋一さんらチーム員の世話をしていたベルナール・ミシュノー氏)に「オレの弟がスペインにいけなくなった」って言ったら、「お前の弟なら、こっちに連れてくればいい」って二つ返事で。

それでコウジはフランスに来たんですね。なんですけど、なにせコウジは海外でのレース経験がない。することと言ったら、スタートから馬鹿みたいにアタックして、リタイア。それを繰り返していたんです。

でも渡仏後4レース目ぐらいに、そのまま逃げ切って勝っちゃったんです。リタイアばかりの選手が。そしたらベルナールおじいちゃん、とつぜんコウジに惚れちゃった。

でもね、コウジが3回目に優勝したときに、ベルナールおじいちゃんはコウジに「お前はもう、レースに勝つな」って言ったんですね。

——康司さんまで「勝つな」だなんて。兄弟揃ってヒドイ星回り(笑)。

あのね、当時のフランスのレースって4回優勝したら、カテゴリーを上がらなきゃいけないんですよ。具体的には第3カテゴリーから第2カテゴリーに。そうなると、他のチームメイトとは違うレースに出ることになるんで、同じ動きができないんですよ。それがベルナールおじさん、面倒だったんでしょうね。

で、それでコウジはチームメイトに譲ったり、中間スプリントばっかり獲って。ゴールだけは流してゴールしたりして、勝ってなかったんです。

それがあるとき、つい逃げ切って勝っちゃった。そのゴールのあと、うちに帰ったら、ベルナールおじいちゃん、ものすごい剣幕で、烈火の如く康司に怒ってるんですよ。「このバカヤロー、レース勝ちやがった、なんで勝ったんだ!」って(笑)。

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兄弟ゲンカこそが、勝利へのタクティクス

——レースって勝つためにするのに「勝つな」なんてヒドイ。兄弟揃って。お兄ちゃんといっしょ(笑)。

コウジは結局フランスに5年いたんですね。フランスのアマチュアチームにいろいろ所属して。それでその4年目、ボクが日本に帰ってアンカーに復帰した年、2003年の全日本選手権でですね、ボクと一緒に逃げたんです。そのときに、コウジがぼくのアシストをしたんですよ。フランスのアマチュアチームのジャージだったんで、しょうがないですよね。誰も文句なんか言わない。

——おお2003年、晋一さんの全日本選手権優勝は、弟さんにアシストしてもらっての勝利だったんですね。いい話ですね、美しい兄弟愛。

その時逃げてたのはコウジとボクを含めて全部で5人。ボクはコウジに言ったんです。「コウジ、下りと平地はみんなが力を温存するところだから、そこを引いてくれ」と。そしたら、なにせコウジだから、下り、平地はもちろん上りも引いちゃうんですよ。とは言え、上りでコウジが先頭だとペースが落ちちゃう。それで途中でケンカになって。

「コウジ、お前なんで上りも引くんだよっ!」
「お兄ちゃんっ! 下りと平地を前で引いてくれって言ってたけど、でもお兄ちゃん、上りだって引いて欲しいんでしょ!」
「……『下りと平地を引け』って言ったんだから、そこだけ引けばいいんだよっ!!!!」

全日本選手権のレース中、それもだんだん大詰めに入ってきたところでコウジと大ゲンカが始まって。それを、周りの3人はおとなしく聞いてくれてるんですよね。まあ結局ボクが逃げきって、優勝したんですけど。

——全然美しくない兄弟愛です(笑)。でもフランス帰りの福島兄弟が協力し合って? 全日本を制したのは、物語としてものすごいインパクトありますよね。

それで浅田監督が、全日本を勝つのにいい仕事したから、ってコウジをアンカーチームに入れてくれたんです。で、それで入ってすぐに、シーズン当初の4月にクロアチアのレースでステージ優勝したんです。

——康司さん、チーム入りしてすぐ海外でのステージ優勝ですか。たしかにビッグなインパクトですね。

でも、兄弟がいっしょだと、息が詰まることも多かったですけどね。例えば嫁さんとかだと練習してるときは別じゃないですか。でも兄弟だと練習してるときも一緒だからね。ケンカばっかりしてましたよ。

まあケンカも多かったですけど、それを利用したこともままあって。逃げてローテーション(先頭交代)してるときに、ボクがコウジとケンカしますよね。そうすると周りの連中は、「あ、こいつらまたケンカしてるから放っとけ」みたいな雰囲気になって、あんまりローテーションせずサボって前に出なくても、周りの選手は何も言わなかったんですよね。で、その間に脚を温存しておくっていう。

——すごいテクニックだ! 強さの理由は兄弟ゲンカ(笑)

時間稼ぎですね。

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「ボクはもうお兄ちゃんの言うこと聞かないよ」

——今でもマレーシアでは、日本人を見ると「フクシマ・ブラザーズ来てないのか」って言われるぐらいだそうですね。どんな走りだったんですか?

バカみたいにアタックばっかりしてたんですよね。だいたい、ボクかコウジか、どっちかが逃げてたんですよね。兄弟で同じ苗字で、同じウェアだから、日々入れ替わりに逃げてても、常にフクシマが逃げてるように見えちゃうんですよね、似てるから。いや、むしろ全然似てないのに。だから目立つんですよ。海外だと、余計にね。

それで、その独走で逃げるのが定番スタイルになっていたコウジがあるとき、ツール・ド・ランカウイ(マレーシアでのUCIステージレース)でステージ優勝したんです。172kmのステージを、スタートから逃げ切って、勝っちゃった。それまで「すごいけどバカだなー」って見てた観客が、ものすごい感動して、とたんにヒーローになって。ええ、それはホントにもう。

——康司さんの破壊力は、走りもなにもかも、大きかったんですね。

コウジは強かったです。とにかく序盤から1人でさっさと逃げだして、逃げたら絶対に帰ってこない。ずっと前にいるんですよね。だから、チーム戦略としても有利という意味では、本当に有利だったんです。コウジを追わなきゃいけないのは他のチームで、ウチだけ引く必要がない。

ただね、最初のうちは、そんなのも含めて指示されたこと、言われたことは聞いていたんです。怒られながらもね。それがコウジがどんどん強くなるにつれ、それでボクより強くなった時期があってね。ボクらがアンカーを離れた後です。そのときコウジが宣言したんです。「お兄ちゃん、ボクはね、もうお兄ちゃんの言うことは聞かないよ」って。

——ついに巣立ちの時が来た!

「お兄ちゃんは、自転車のこと、全然わかってない!」。

——グハハハハ! 笑うところじゃないですけど!

でも巣立った途端、彼はチームから解雇になったんです。悲しい物語ですよ。その時、2008年に所属してた梅丹チーム(梅丹本舗・GDR)が一番いいときで、フランスでユキヤ(新城幸也選手=現ランプレ・メリダ)もミヤタカ(清水都貴さん=元チーム員)も優勝した年です。その年に、解雇通告が来たんです。

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——その時、晋一さんはどんな気持ちだったんですか?

……実はコウジのクビ、ボクが監督の浅田さんにお願いしたんです。「コイツをクビにしてください」と。浅田さんも「そう言うとは思ってた」と言いましたけど。悲しかったですけど、言うこと聞かないんでね。コウジがチームの規律を乱しがちになっていたんです。しょうがなかったんです。

——晋一さんから、お願いしたんですか。

例えばあるレースで、コウジがリーダージャージを着てて、ボクがずっと集団をコントロールしてた。そこに他の有力選手がアタックして、コウジが付いていったんですね。で、ボクはその時に「コウジ、付いてけ!」って言ったんですよ。そしたらコウジは、彼とがんがんローテーションして、最後は彼にアタックされて、リーダージャージを取られちゃった。

帰ったら部屋で大ゲンカですよ。「コウジな!『付いてけ』ってことは、ローテーションしないで『付いてけ』ってことなんだよ!」「でもね、お兄ちゃん!」って、それが廊下にこだまする。

そんなやり取りを、ずっと一緒にいたユキヤはよく見てたんですね。ボクがしょっちゅうコウジを叱ってるのを聞いて、アレはしちゃいけないんだ、ってユキヤはいろいろ学んでるはずですよ。ユキヤを育てたのはコウジですよ(笑)。

こうして晋一さんは、康司さんとの刺激的な福島兄弟時代を終えました。しかし晋一さんはこの時期に、ただ康司さんのお兄ちゃんであるだけではなく、日本ロードレース界の『お兄ちゃん』への道を歩んでいきました。

それを加速させたのが、アジアという新天地へと視点を向けたこと。そしてその一例が、最後にサラリと出てきた新城幸也選手を見出し、世界へ飛躍させるきっかけを作ったこと。次回あんかーちょうちん、福島晋一編・最終回『開拓者として、日本のお兄ちゃんとして』。強く愉快な人々が、お兄ちゃんのもとへと集まります。

<Vol. 03へ続く>

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福島晋一
大学在学中に自転車競技を始め、在学中にオランダへ自転車留学。1996年にチームブリヂストン・アンカー入り。1998年〜フランス、ベルギーで活動。ブリヂストン アンカーがTT3に昇格した2003年に全日本選手権ロードレース優勝。2004年にはツアー・オブ・ジャパンで日本人選手初の総合優勝。2005年タイのツアー・オブ・サイアム総合優勝。2005シーズンでチームを離れた後も活躍を続け、2013シーズンを持って引退。現在はチーム NIPPO VINI FANTINIの監督として采配を振るう。ニックネームは『フグ』。
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取材協力/JYOTY[ジョティ] 浅間台店
アンカーの本拠地、北上尾にあるインド料理店。古残のチーム員にはあまり馴染みがないが、ブリヂストンサイクルの若手の間で、じわじわと人気の高まるスパイシー系カレーが美味しい。人命救助で警察に表彰されたこともある、心優しき店長がお迎えいたします。
埼玉県上尾市浅間台2-10-23 TEL: 048-775-5588
※飲酒運転は自転車であっても違法です。自転車の飲酒運転は絶対にやめましょう。